12/04/2007

特別な日


昨日は、家族全員、いつもと違う気持ちで
過ごす日。

父とムギの命日だった。
2年前の昨日の終わり、ムギは天国へ帰った。
5年前の昨日の始まりに、父は天国へ帰った。

          ムギとルース

いつもと違う、というのは、「命日だから、故人を悼んで過ごす」という意味ではない。
昨年もDogBlogで書いたが、12月は、数年続いて大切な命を失った月なのだ。

実は4年前の12月1日に、祖父が亡くなっている。
奇しくもお葬式は、父の一年後の同じ日だった。


DogBlogに書いたとおり、我らはこの日が近づくと、
身構えてしまう。
他人は気にしすぎと笑うかもしれない。
だが、何より大切な人達を、前年の傷も癒えぬうちに
たてつづけに3人も(ムギは犬だが)失えば、誰だって
そうなる。




去った者達はみんな天国で幸せなのだ、と思うから
こそ、遺された者は生きていける。
いずれまた逢えると思うからこそ。




でも、愛する者とは、「今」一緒にいたいのだ。


”神のなさることは、すべて時にかなって美しい”という言葉(伝道者の書3:11)が
とても好きだ。
その通りだ、と思う。


だが、それでも、もっと一緒にいたい。


だから我らは、昨日一日を、気持ちを引き締めて過ごした。
無事に越せたことを、神様に感謝します。



そんな日なのに、泊まり込みだったから心配だったの。



当直を終えて帰ると、
いとこ達がそれぞれお花を贈ってくれてました。
祖父、父はもちろん、ムギにも。
やさしい色と、やさしい香り、
そしてやさしい気持ちが、我が家に満ちている今夜です。





みんな、ありがとう。















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4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この世に生まれ死に逝くまでにかかる年数は神様から見ればまばたき程度らしい。
去年の大晦日はテレビでK1見てた父。
スーパーで働いていたウズラ。
あ~あ・・・とタメイキつくけれど
「お父さんは今すっかり若返っちゃってイキイキと活躍されてますよ」なんて、私には見えないものを見る人に言われ、信じた者勝ちやな、とも思う。
見えないけど、いつも父をはじめとするアチラの皆様と一緒と思って過ごしております。
夫jick氏は「守護霊守護神はいるならいるで誰でも構わない。その代わり、その守護霊さんの横に先代の犬がいてくれてたらそれでいい」と真剣に話していて、驚いたよ!

匿名 さんのコメント...

こちらでははじめまして。
おっ、今日はコメントできそう。
まずは、私の拙いブログにいらしていただき、ありがとうございます。コメント、励みになります。こちらにもお邪魔させていただきます。どうぞ、よろしく。

ハニフラさんにとって、この日が特別なように、私にとっての今年も、忘れられない年になってしまいました。大切な人たち―義父、祖母を相次いで病でうしない、私自身の転落事故、その入院中にスピーディの相棒だった両親の愛犬までも...

生身のカラダというこの窮屈な容れ物を脱ぎ捨て、タマシイ(便宜上そう呼ぶことに...)は自由に風を渡り、千里万里を駆け、どこにもいないようでいてここにもそこにもいるような存在となったのだから、悲しむことはないのだよ、と、あの歌のようなことを思ったりもするのですが、ね。

ハニフラ さんのコメント...

ウズラちゃん、生と死、見えるもの見えないもの、って誰にも永久に分からないものだから、深く深く考えるよね。

ひとりひとり考え方も違うし、同じ人でも人生のいろんな事を経験していくうちに考え方が180°変わったりするし。
私も、いつも一緒と思ってるわ!

jickさんの気持ちはとってもよく分かります。
私も中2のとき、自分のシェパードが死んでから、死ぬのが怖くなくなりました。彼女が待っててくれると思うから。

ハニフラ さんのコメント...

aya@saltyspeedyさん、いらっさいませ!
ayaさんも、気持ちを立て直すいとまもない年だったのですね。その上にご自身も大怪我をなさって。
若いエルちゃんの話も、本当に辛かったです。

なぜ、こういうことって固まって来るのでしょう?(まんべんなくあるのも嫌ですが・・・)
トラウマになってしまいます。

魂と容れ物・・・そうなんですよね。
道路で轢かれた動物を目にした時も、自分にそう言い聞かせます。あれは、脱ぎ捨てられた衣服のようなものだと。
でも、だからといって、気持ちが楽になるわけでもなし。

人生って、そういう事柄とちゃんと向き合っていかねばならないものなのだと、覚悟を決めてます。