11/16/2009

うぬぬ

すみません、先日、右手の平を切ってしまい、キーボードが打てません。
そのようなわけで、コメントのお返事ができてません。
この文章は左手の一本打ちしてますが・・・

          ゴメンナシャイ

もうちょっと良くなったらすぐお返事しますね。
マウスも持てないので、しばらくパソコンには向かいませぬ。

皆様、お風邪を召されませぬよう。

11/06/2009

さらば我が愛車よ

明日更新します〜とか言いつつ、延びに延びて一週間経っちゃった。
できないことを言うもんじゃないな。

           ソノトオリ






パンクはしたものの、大きな危機は回避した我が愛車。

実は、パンク以前から持病を抱えていた。

それは、オーバーヒート。


            冷却中

一年ほど前から、3回繰り返した。
不幸中の幸い、三回とも帰宅後にオーバーフローした(一回目は普通に漏れたのだが)ため、困ったことにはならなかったが、走行中も常に水温計に気を配りながらの運転になった。

もちろん、毎回原因を調べて修理はしている。
だが、最終的には、回ったり回らなかったりするファン(当然取り替え済み)のせいで、クーラーをかけっぱなしで走らねばならないはめになった。クーラーをかければ、必ずファンは回るから。






10月9日金曜日。
仕事を終えて帰宅途上、水温計に目をやると、水温が上がっている。
やばい、持病が出た。しかも、夕方で渋滞の国道だ。こんなとこで何かあったら、他のドライバーに殺される。


とにかく、左車線を走ろう・・・
(またか)


本当はすぐに左に寄せて停めたかったが、通勤路の国道はただでさえ狭い。めいっぱい左に寄せても、大迷惑になる。

5分ほど走れば、いつもお世話になってるガソリンスタンドがあることを思い出し、なんとかそこまで、愛車には頑張ってもらおうと思った。焼けてしまうかも知れないが、背に腹は代えられない。


みるみる水温はMAXまで上がり、ボンネットからは蒸気がもうもうと立ち上った。
そして、何度も耳にしてきた、水がオーバーフローするあの嫌な音。
ローバーが悲鳴を上げている・・・
どきどきしながら、なんとかスタンドに滑り込んだ。






車のことではいつもお世話になっているM氏に連絡を取る。
大手自動車メーカーにお勤めのM氏は、愚弟のバイク仲間であり、愚弟よりずっと年上だが、気さくでとても親切で、車が大好きな方。どれだけ助けてもらったか。

注:愚弟の格好はただのサバイバルゲーム好き。思想とは全く無関係です。

ローバージャパンに直せなかった故障も、M氏が直してくれた。
我が家では『大明神』と呼んでいる。
足を向けては寝られない恩人である。


スタンドのおじさん達が、忙しい合間を縫って、ゆっくり停めておけるスペースを空けてくれた。

40分足らずで、M氏が部下と共に到着。
お二人の姿が光り輝いて見えたのは、スタンドの照明のせいだけではないだろう。





ファンがまた回るようになっていることを確認し、水を補充し、家までM氏が運転して送って下さることになった。
こんな惨事を引き起こしたサボリのファンは、今は何食わぬ顔してぶんぶん回っている。
ローバーはそのまま、M氏がお店まで乗って行き、精密検査をしてくれることになった・・・






数日後。
大明神からの連絡内容に、私は打ちのめされた。

廃車か、高額でエンジンを直すか、どちらかだ、と。
エンジンがひずんでいるらしい。
今のエンジンを使うなら、各面を丁寧に削って修理することになるが、高額になり、それでもきちんと直るかは分からないとのこと。

お金が有り余っていて、無駄金になってもいいからやれることやってくれ!と言えるようなら断然修理をお願いするが、今の私にそのような余裕はない。



こんなに愛しているのに別れなければならないなんて。しかも突然に。
あのハンドルが二度と握れないとは、信じられない。
自分の手足同然だったランドローバーは、私にとっては『ただの道具』ではないのだ。



しかし、春にも大々的なメンテナンスを行ったばかりで、これである。
おまけにタイヤも総替えするつもりだったし。

しかも、今回の修理で直るならともかく、それでも不具合が出る可能性の方が高いらしい。

やはり、英国生まれの彼には日本の気候はあまりに過酷だったのだろう。
私が酷使したしなあ・・・

今年の12月で、まるまる12年乗ったことになるはずだった。
そう、まだたったの12年しか乗っていないのに。







こうして、私の愛車、ランドローバー・ディスカバリーは、静かに任務を終えることとなった。

免許もないうちから憧れ続けたランドローバー、私の初めての車。
いつも誇らしく私を待っていてくれた、泥んこの大きな車。

さようなら、さようなら。
ありがとう。




11/04/2009

白髪三千丈





母はけっこう毒舌です。いや、毒舌よりは暴言です。
しかも、本人はあまり自覚がない様子。

また、言うことが大げさ。
例えば、母の実家の真ん前に小さな山があるのだが、

       右側のシルエットがその山。

その山に登るのが朝飯前だということを表して
 「あんな山赤ん坊でも登れる」
いや、赤ん坊はムリでしょうが・・・


そういえば母の実家のお隣さんも、ご飯が少ししか茶碗に入ってないことを愚痴って、
 「底の方にハゲの毛くらいしか入ってない」
言ってる御本人がつるつるなので、まあ問題は無いのかも知れませんが・・・


口が過ぎるのは、どうも母の出身県民の特徴らしいです。

            デヘ


わたくし最近、今月末にある『友の会』のバザーに出すと母が言うので、せっせとアクリルたわしを編んでいます。
先日も、編んでおりましたら、母が悪気なく言いました。
「あら、面白いの編んでるね、壺?」



つぼ?


確かに壺か・・・



魚のつもりだったんですけど。


たまに、母の暴言を暴露しようと思ってます。

11/02/2009

パンクローバー

またパンクした。
(始めてのパンクはこちら



それも高速道路で。



空気圧も、その1週間前に高速走行向けにちゃんと調整したばかりだってのに。

           ・・・・・




8月の終わりから9月半ばまで、例によって信州に行ってた我が家。
その間、私と愚弟は、それぞれの用事に合わせて大阪ー信州間を行ったり来たり。

その日私は、明け方(4時前)に信州を出発し、そのまま病院に直行して仕事という予定だった。
前の週は、雨は降るわ濃霧は出るわで、かなり道中恐ろしかったが、今回は冬のような寒さながら、夜空いっぱいに星がきらめく、さっぱりとした天気。
快調にオンボローバーをとばしていた。

           走レ走レ





予定通り中央道を抜け、名神に入ったところだった。

急に左後方で、バン!バン!と激しい音がした。
何も路上には落ちていなかったし(もう明るくなって路面もよく見えていた)、何かを巻き込んだにしては音が大きかった。

これはもしや、パンクか?
このまましばらく走っていると、急にハンドルが取られるのか??
いや、それにしては今はまったくの正常だが・・・
ともかく、次のエリアには入ろう。念のため、減速して左を走ろう・・・
と、左車線に入った。そして、アクセルをゆるめて90km/Hほどまで減速した。


左に入って1分も走らないうちに、いきなり挙動がおかしくなった。車体後方が激しくブレる。
ああ、やっぱりパンクだ。左に寄っておいて良かった。
幸い、ランドローバーのエンジンブレーキは素晴らしくよく利く。
フットブレーキを使うことなく速やかにスムーズに減速し、なんとかハンドルのコントロールが利いている間に路肩に寄せて停車することができた。
とりあえず、ほっとひと安心。



とは言え、あいにくずいぶん路肩が狭かった。
車線にはみ出すことなく止まれたものの、すぐそばをさっき私が追い抜きまくった大型トラックが轟音をあげて通っていく。

本当はすぐ車外に出るべきだったのだが、やはり少し動揺していたのだろう。そのままJAFに電話した。

それから、携帯とJAF会員証と、水筒を抱えて車外に出た。
んで、さらにガードレールの外へ出た。足下には急な土手が続いており、100mくらい下に工場が並んでいたから、もし足を滑らせるとそこへ転がり落ちることになりそうだった。



折り返し電話してくれたJAFのお姉さんが言うことには、到着まで35分くらいかかるらしい。
私はこういう場合に待つのは全く平気なのだが、今回は二点、重要な問題があった。
 1.病院の勤務時間が迫っている
 2.オチッコタンクが満タンである

1.はまだいいとして(いいのか?)、2.は大いに問題である。
しかも、寒い。フリースを羽織っておいて良かった。水筒のお茶もぬるいが、無いよりずっといい。
いざとなったら、この大自然が(工場地帯だけど)広大なトイレだ!と腹を決めた。






だいたい30分ほどで、JAFのお兄さんが到着。
取説をちょくちょく読みながら、手際よくスペアタイヤと交換してくれた。


きびきび働く後ろ姿が光り輝いて見えたのは、朝日のせいだけではないだろう。
感激して、病院の心配も、オチッコタンクの心配も、ふっとんでいた。





修理完了後、なかなか本線に合流できないでいると、
 「交通量も多いので、レッカーを前に回しますから
  ついてきて下さい」
と親切なお言葉!

さすがJAFがライトを回して右へ合図を出すと、トラックも車線を空けてくれる。すんなりとレッカーについて合流できた。
お兄さん、ありがとう!なんて頼りになるの。
(お兄さんというか、絶対年下だけど)


すぐ先が高速降り口なので、JAFは窓から手を伸ばして大きく振ってくれつつ、さっそうと降りていった。
アクセルを踏み込み、出口の方へと離れていくJAF車にかろうじて並び、頭を下げると、お兄さんはちゃんとこちらを見て手を振ってくれていた。

JAFが利用者に感謝されるのは、困ったときに飛んできて救ってくれるということのみならず、こういう「良かったですね、気をつけてね」という暖かいコミュニケーションがあるからだろう。





実は、JAFに入ったのは今年3月。
JAFに入らない限り、雪の信州には行かない!と母が言うので、入った次第。
お正月にはJAFなしで雪の信州に行ったんだけどね。

ああ、しかし汝親の言うことに耳を傾けるべし。
本当に助かった・・・




それから、JAFが来るかなり前だが、私のずいぶん後方にも、もう一台、路肩に車が停車した。
あれも故障車か?単なる休憩か?ともかくお仲間がいてちょっと安心だわ、と嬉しくなる。



しばらくして見ると、どうも工事関係者らしく、反射板付きのタスキを着けた、ヘルメットの男の人が降りている。
しまった、この辺これから工事で車線規制のかかる区間か?
実際、あちこち工事車線規制だらけだし。


どちらも間違いだった。
『故障車』の表示を出した(たぶん。実際に表示を前から見た訳じゃないので。でも何か電光表示板は立っていた)道路公団の車が来てくれたのだ。
くだんの男性が、ずっと旗を振り続けて、走ってくる車に注意を促している。



いつから振ってくれているのだろう?
ずいぶん前から車は止まっているのに、JAFが来て私に心の余裕ができるまで気づかなかった。

もちろん、私の安全のためというよりは、二次災害を避けるのが最大の目的なのだろうが、感謝と、申し訳なさとで胸がいっぱいになった。
そして、私という個の安全、後ろから走ってくる他の大勢の安全、その両方のために、早朝からこうして働いてくれている人がいるんだと思うと、社会っていいものだなあと、心の底からしみじみと感じたのだった。






ところで、二大問題の顛末は?

 1.病院は30分ほど遅刻した。
   (直るまで1時間以上かかった)
 2.パンク前からの予定通り、養老SAで
   オチッコタンクは無事空にできた。

そんなわけで、総合的には万事順調に大阪へ着けたのであった。

      「『万事順調』?」「・・・」




で、今、我が愛車の後部には、スペアタイヤの代わりにこんなものがついている。
よろしければ、クリック拡大どうぞ。

       車内からリヤガラス越しに。

      横から。上の方が破裂してます

      タイヤの中ってこんななんですね。

          怖いですね。


今度信州へ行く直前に、タイヤ5本全部を新品に買い換える予定である。




・・・予定であった。

うええん。
人生は予定外のことだらけ。