2/25/2019

春告鳥







今朝、いつものようにめえ太の見送りを受けながら出勤しようと助手席のドアを開け、仕事鞄を放り込んだ。

イッテラッサイマシ

とたんに、運転席で何者かが慌てる気配。

窓から出ようとばたばたしていたのは灰緑色の小鳥だった。
さほど苦労せず、そっと両手でつかまえる。


「あんた、いつから・・・一晩中いたの」などとつぶやきつつ急ぎ家に戻り、放す前に母に写真を撮ってもらった。

 「うぐいすだね」
と母が言う。
言われてみれば確かにうぐいす色だ。

運転席の窓にまさしく「ウグイスのふん」
座席にもあった

飛び立つところをスローモードで撮りたいと思っていたのに、あまりにもそっとつかまえていたので、少し手を高く掲げただけで、ぱたぱたと手から飛んでしまった。

(うぐいすですよね?確信はない)


すぐ脇の、鶏小屋横のシマトネリコにとまったのを見ながらよく考えてみたら、車に入ったのは昨夜ではない。

その20分ほど前に、鶏の餌(昨日いちえん農場さんから貰ってきた)をひと袋だけ後部座席から降ろしたところで母に呼ばれ、そのまま開けっ放しにして忘れていたのだった。

我ラノ餌ゾ

おそらくそこから餌につられて入ったのかもしれないが・・・
警戒心が薄いというか。
あるいは、私の愛車がまわりの藪と紛う雰囲気を漂わせているのか。

そんなばかな
(愛車の後部座席)


うぐいすは我が家のまわりには多く、春の初めはへたくそな鳴き声があちらこちらからする。
だんだんうまくなるのが微笑ましくて、毎日の楽しみでもある。

この鳥が若者か、ベテラン勢かは私には分からないが(めすかもしれないし)、これからもながらく元気に飛び回ってくれることを願う。

一晩中閉じ込めてたのでなくて良かった

もう車に乗り込んじゃだめですよ。







2/23/2019

去る者が遺すもの






ルースは土曜日夜から、すっぱりと食べることをやめた。



ガディもソフィもホープも、ぎりぎりまで食欲旺盛で、口に入れてやりさえすればモリモリ食べていたから、これが初めてだった。

食欲が急になくなれば、何らかの病気と考えて獣医さんを受診するのが普通だろうが、ルースの場合は、苦しそうだとか、痛そうだとか、そういった不調のしるしがまったくないので、不思議なくらい自然に
 「おしまいにしようとしているのだな」
と分かったのだ。

日曜日の朝にもう一度、肉やチーズを口元に持っていって試してみたが、はっきりと拒否した。



水はしっかり飲んでいたが、月曜日の夕方に飲ませたとき、少し舌の動きが小さくなったなと思った。
飲ませるべきなのか迷っていた。

すると夜になって、立ち上がって水を吐いた。
おかげで私たちにも、「もう水も要らないのだ」と分かった。



13日水曜日の夜遅くに良いうんこをして以来、ずっと排便がないのが気になっていた。

16日土曜夜に急変した後、しばらくして全身が周期的に小刻みに震えるようになった。
どうやっても治まらず、理由が分からなかった。

便秘だけが唯一気になっていたので、摘便をしてみたら大当たりで、石のように固い便が、出口近くで押し合いへし合いしていたのだった。
これを出してやってからは、震えはぴたりと治まった。

固い便の後ろには柔らかいのも触れたが、これはもうこのままになるだろうと思っていた。

ところが、月曜朝にそれもちゃんとしたいいうんこにして出した。
これでもうお腹はからっぽのはずだ。
この時、お尻とお腹をきれいに洗ってやった。



火曜日の夜の時点で、おしっこはかなり少なくなったがまだ出ている。
ルースの体は驚くほど薄べったくなってしまったが、とても楽そうだ。

呼吸もとても静かだ・・・





上の文章は、19日の『ルース準備中』を書いた後、続けて書いた。
これから数時間後に、ルースは息を引き取る。

書きながら考えていたのは、ルースは「なるべく身軽に」いきたいのだなということ。

20日水曜日朝(母撮影)
左からエ、ウ、ブ

頭では分かっていても、どうしても
 「まだ何か食べられるかもしれない」
 「水を飲みたいのではないか」
と迷いが出る。
それが、すべてが終わった後で後悔に変わる。

一生懸命であるほど、『したこと』は『よけいなことだったかも』、『しなかったこと』は、『してやれば良かった』と思い、ぐるぐる回る道にはまり込む。

ルースは、自分の思い通りに旅の準備ができるよう、私たちに分かりやすく示してくれた。
それはとてもありがたく、嬉しいことだった。
ルースの願い通りにしてやれている、と思えるからだ。



どの生き物も必ず死ぬ。
どんなに愛する家族でも、それだけは絶対に避けられない。
ならば、その最後ができるだけ平穏であるよう願うが、思うとおりにはいかないこともある。

まだ理解できない様子のエボニー


我が家では、ガディが一番しんどかったと思う。

亡くなる1ヶ月ほど前から、ちょっとしたケガがもとで、右前肢の皮膚が潰瘍になってしまった。
最後は、私たちが寝ている間にひとりで逝ってしまった。

体の下の敷物もまったく乱れていなかったから、最後の瞬間に苦しんだとは思わないが、あの潰瘍が体力を奪い、寿命を縮めたと思うし、最後まで痛みと闘わねばならなかった。


毎日必死に傷の手当をしたが、今から思えば至らないことばかりだった。
今なら、はるかにうまくやれただろう。
きっとあっという間に治してやれた。



しかし、ガディで得た経験は、後の犬たちにおおいに役立っている。
ガディ以降、ここから旅立っていった家族達から得た経験が、今の家族に役に立っている。


犬も、猫も、鶏も、(もちろん父も)この世を去るその時まで、ずっとたくさんのことを私たちに教え続けてくれる。
本当にありがとう。



火曜日の夕方、仕事からの帰り道、天気は薄曇りだった。
全体に靄が出ており、乳白色の中にところどころ薄い橙や紫や緑が混じる、静かな空だった。
無風だったので、四万十川も湖のように静まりかえっており、川面に川霧が立っていた。

それを見ながら、
 「この美しい世界を、ルースは去っていくのだ」
という思いが、ぼんやり頭に浮かんだ。
続いて、
 「そしてもっと美しい世界へ行くんだ」
と考えた。



金曜日の朝、庭でルースの体を見送り、骨を拾った。

毎日過ごした場所で荼毘に付す

拾いきれない小さな骨をジャパンペットセレモニーのいつものおじさんが集めてくれたので、河津桜の根元に撒いた。


その後から雨が降り始めた。
撒いた骨粉の中に、小さな尾の骨があったのがどうしても気になっていたので、今朝、出勤前に見に寄ると、一晩中降った雨で、ひと月近く咲き続けた桜が散り始めていた。

骨を覆うように花びらがかぶさっている

写真を撮って、骨を拾って、仕事に出かけた。

















2/20/2019

ルース旅立つ








2月20日、午前2時53分にルースは息を引き取った。




19日のお昼前、テーブルの下から自分で玉座に移動したそうだ。

1月13日
テーブルの下でおこぶと

お昼休みに私が帰宅したときはちょうど彼岸に行っているようで、そっと声をかけ、撫でても反応はなかった。



夕方、仕事から帰ったときも同じ向きで寝ていた。
体位変換をしようとタオルケットをめくった時、もうすぐなのだと分かった。
体が薄べったくなっていたのである。

昨年12月7日
おこげをクッションごと落とそうとイタズラ中

それでも、向きを変えるとき、支えていれば立っていられた(なるべく最短時間にしたが)。
オシッコも出ていたのでオムツを替え、反対に寝かせてしばらくしたら此岸に戻ってきたようだった。



昨日の日記『ルース準備中』は、19日夜、ルースのかたわらに座り、頭を撫でながら書いた。
一文書いてはルースの顔を眺め、また一文書いてはルースに話しかけた。
無反応のこともあれば、眉を上げ、目を動かしてこちらを見たりもした。
左にはウェル

頭や上半身を動かして起きたいそぶりを見せても、もう起き上がることはできなかったし、それだけの体力ももうないはずなので、腕を差し込んで少し肩を持ち上げて支えてやったりした。



そうやっているうちに、私もルースに頭を並べて床で眠り込んでしまった。

2011年12月22日
草ロールの上で
(後ろはホープ)

目覚めると寒気がし、体のあちこちが痛んだので、お風呂を溜めて浸かってきた。
連日の寝不足もあって少し湯船で眠ってしまい、思わぬ長風呂になってしまったが、その間もルースは静かに待っていてくれた。

2010年9月4日
信州にて

日付が変わって2時を過ぎた頃、早めに寝ていた母が起きてきたので、少し交代することにした。



ベッドに入って30分くらいで起こされた。

ルースがうんこをしたので片づけようとしたが、どうも血便らしいので私を起こしたと謝る母。
もちろん起こしてくれて正解だ。
私はうんこ処理に関してはプロフェッショナルである。

2010年4月24日
まだ草一本ないウバメの段にて

確かに血便が出ているが、驚くには当たらなかった。
ルースに無理のない範囲で、できるだけきれいにした。

 「今いかないでよ、ルース」
と冗談めかしてルースに声をかける。
呼吸状態に変わりはないし、しっぽやお尻に触ると、ちゃんと反応してしっぽを動かしていた。



10分か、15分かかっただろうか。
完全ではないが、これで不快感はないだろうし、匂いも許容範囲、というところまで綺麗になった。

2010年4月18日
敷地の奥の小川のそば
右はソフィ

枕元に回り、声をかけた。
 「お疲れさん、きれいになったよ」

表情に変わりはなかったが、先ほどまでと違い、呼吸が少し努力様になっていた。

便が漏れたことを考えても、いよいよだろうと思われたので、母にそう伝えた。
母も頷き、「あんたを起こして良かった」と言った。


二人で撫でたり、声をかけたりして見守る中、呼吸がゆっくりと浅くなっていく。
少し足が動いたりし、最後に形ばかりの呼吸を何度か繰り返した。
そして、体の中に残った空気をふーっと吐き出して、ルースはこの世の時間を終えた。

2010年3月30日
移住してきた日
右はソフィ


まことに静かな穏やかな旅立ちだった。

残された私たちは悲しくないはずはないし、寂しくないはずはない。
だが、今のルースにふさわしいのは死を悼むことではないと思った。

2011年10月28日

それで、熱い生姜湯を入れ、ルースの安らかな顔を見ながら、母と祝福した。
ルースや先に逝った犬猫たち(あと父も)の思い出話をひとしきりした。

4時をまわった頃、ルースにお休みを言って、ベッドに入った。



前の日記から、「旅立ち」などと大袈裟に書いているけれど、目的地まではあっという間の、短い旅である。
今ごろはもう、天国で皆と合流し、楽しくやっているはず。

その証拠に、今朝出勤するときにしょんぼりと元気のなかっためえ太が、夕方帰宅したら、いつにないほどはしゃいで、そこら中を跳ね回っていた。

昨年12月30日

身軽になったルースがさっそく遊びに来てるんじゃないの、と母と微笑ましく眺めたのだった。





読んでくださる方へ

文章はタイムリーに書いているのだけれど、アップするまでにタイムラグがあるため、日記の日付も内容も少しずつ遅れてしまうことをご容赦ください。


あと、少しコメント欄を閉じます。
私が辛くて無理、という理由ではありません。
訃報の日記へのコメントは、書きづらいものです。
私自身、誰かの愛する家族の訃報に接したとき、コメントをしたい、気持ちを伝えたい、という強い思いがあるのに、一方で、気を遣ってしまって思うように文章が書けず、いつまでも画面に向かってしまいます。

訃報の時は読んでもらうだけで十分です。
拙ブログでは、コメントは、気軽に気楽に入れていただけたら、と思います。
それが、これまでも訃報の時にコメントを閉じてきた理由です。

(特定の記事のみのコメントクローズができないので、しばらくすべての日記のコメントが見られなくなります、ごめんなさい。
次の日記を更新したらコメント欄を開けますので、そうしたら再び見られるようになるのでご安心ください。)


たぶん、あと一回、ルースの話を書くと思います。

2/19/2019

ルース準備中








ルースが準備を始めた。



もう15歳半を過ぎているし、それなりに老犬生活は送っていたが、先週の連休明け頃から、急に足取りがおぼつかなくなった気がしていた。
次の段階へ進もうとしてるのかな、となんとなく感じていた。


それでも食欲は旺盛で、食餌の準備が始まると、寝ていても飛び起きて皆と足もとをうろうろし、自分の食器が運ばれると、はずむような足どりで走ってきた。


放っておいても、ぺろりと完食し、その後も何度も食器を舐めに戻っていた。



それが、14日(木曜日)の夜から、少し食べ方にムラが出てきた。

15日(金曜日)の朝は完食したものの、少し手助けが必要だったので、とても気になりながら出勤。
当直だったので、夕方からブログや動画作りをするつもりだったが、そんな気分にはなれずにいた。

ところが、母から、晩ご飯はぱくぱく食べたとメールあり。
準備中には、今までのように皆と一緒に催促もしていたそうで、心底ほっとした。

2月2日のルース

ようやく気分が晴れたので、ブログや動画を作り始めた。

そんなわけで、昨日更新した日記『暖冬だより』は、金曜夜遅くにできあがってはいたが、その日のうちのアップロードは間に合わなかったのだ。
(家ではネット環境が悪くてアップロードできないので月曜日の更新になった)



土曜日の朝に当直が明けて帰宅すると、ルースはいつもと特に変わらなかった。

母によると、朝ご飯は全部食べたが、少しつっかえて飲み込みづらそうにしたらしい。
これからはもっと飲み込みやすい工夫をしてやらねば、と母と話した。

昨年1月23日
エボニー(奥)と斜面を駆けて私の出迎えに


朝方に雨が上がって穏やかな薄曇りの天気だったので、ルースはデッキ際のベッドで休んだり、デッキを(地面はぬかるんでいたので)30分ずつ2回ほど散歩したり、のんびりと過ごした。

今までより足もとがおぼつかないとは思ったが、概ねいつもどおりの一日だった。



2回目の散歩を終えたルースがテーブル下のお気に入りの場所で休んでいる間に、私は昨夏はじめに分解して洗ってしまいこんでいた、我が家の「玉座」を引っぱり出した。

その日の朝、
 「これがルースと過ごす最後の冬、最後の2月になるかも」
と母と話しながら、ルースが(ほかの皆も)お気に入りだった玉座をこの冬はまだ出していなかったことを思いだしたからだ。



この玉座は、四万十に来た年にガディのために買ったものだ。

2010年
ガディ翁

大きくて、ガディは一頭でいっぱいだったけど、他の犬たちは2、3頭乗れた。
でも、ガディがいる間は、ガディしか乗ることを許されなかった。


ガディがいなくなった後は皆が愛用していた。

左から、ハニー、ホープ、フラ
左から、フラ、ソフィ、ブラウニー


昨年末から年始にかけてソフィが体調を崩したときに、玉座はソフィ専用になった。

ソフィに添い寝するウェル

ソフィがいなくなった後、また皆が愛用していた。


そして、今度はやがてルース専用になるのかなあ、と思いながら組み立て、カバーをかけ、
 「ルース、お待たせ。大好きな玉座出したよ」
と連れて行ってやると、とても嬉しそうに横たわった。

それを見てから、私は犬猫の食餌作りに取りかかった。



だが、そこからルースの様子は急に変わった。

ご飯ができても起きてこない。
鼻先に持っていって嗅がせると、目を閉じ、少し顔をそむけた。
『いらない』と意思表示したのだ。

散り始めたソメイヨシノ

食べるどころか、全身が脱力しており、ほとんど反応がなくなった。
呼吸がとてもゆっくりになっているのを見て、母を呼んだ。
 「ルースが旅立とうとしているかもしれない」
母はプレイステーションでゲームをしていたが、放り出してきた。

呼ぶとかろうじてまぶたがピクつく。
胸の動きはどんどん弱くなる。
もう今にも止まるかと思われた。

彼岸に行っている時のルース

家族が旅立つときの話は普段からよくしている。
もうなのか、という寂しさはあっても、うろたえるという状況ではなかった。

母とふたりでルースを撫でながら、
 「ルースはすごいよ、我らもかくあるべし」
 「こんな風にいけるのが理想だね」
と感嘆していた。



だが・・・
ルースはまだ旅立たなかったのだ。

1時間ほど経った頃、急に目に力が戻り、起きようとした。


支えて立たせると、オシッコをした。
(オムツが温かくなり、匂いがするので分かる)



ルースは1年ほど前から室内ではオムツをしていたが、排泄したくなるとちゃんと外へ出ようとした。
間に合わないことがあるのでしているだけだ。

昨年2月5日
まったく寒そうじゃない

粗相が増えてついにオムツをするようになった時、これは特別で、ルースだけができるのだと誉めた。

 「かっこいいの、しようか」
というと、オムツをはめる間、誇らしげに待っていた。

長い腹の毛が巻き込まれないよう気をつけながらオムツを装着し、
 「できたよ、かっこいいね!」
と腰をぽんぽんと叩いてやると、意気揚々と歩き出すのだった。



それから、数時間ごとにルースは起きようとした。
理由は、オシッコだったり、体の向きを替えたくなったりだ。

さらに、吸い飲みで水を飲ませてみると、しっかり舌を動かし喉をならしてゴクゴク飲んだ。

そうして、翌朝も、翌々朝も、今朝も、ルースはまだ、ここにいてくれている。



土曜日の夜から日曜の朝にかけ、アニューとめえ太を除く室内組の犬猫たちは、皆ルースに挨拶をした。

エボニーは玉座に乗らなかった

日曜日の午前中、ルースの足の向くままに母と支えて歩かせると、部屋からデッキへ出て行き、さらに歩いて、アニューのところへ行った。
アニューはキュウキュウ鳴きながら柵越しにルースの口元を嗅ぎ、ルースも応じる。

と、アニューが朝食べた肉をルースの目の前に吐き戻した。
狼犬は、子犬にせがまれると雄でも吐き戻して面倒をみることがあるという。
アニューはルースが昨夜から食べていないこと、弱っていることを感じとり、ルースのために吐き戻したのだ。

 「アニューせっかくだけど、ルースはもう食べられないんだよ」
と言い聞かせて部屋に戻る途中、どこからかめえ太もやってきた。

昨年1月23日

めえ太は、他の犬たちには無遠慮に突進したり、角を振り回したりするのに(実際に当てることはまずないが)、ルースだけは特別扱いしていた。

そっと頭を寄せて親愛の情を示す。

ルースがよろめいて転ぶと、鳴いて私達に知らせる。
自分でも懸命に足や頭を使って起こそうとし、起き上がった後は心配そうにしばらく寄り添って歩いていた。

この時もデッキの柵越しにいつものように頭を寄せ、おそらくこの世では最後の挨拶を交わした。



その後はひがな一日、ルースは玉座で静かに過ごした。


私たちは、ルースが意思表示をしたら起こしてやり、オムツを替え、体の向きを変え、できるだけ快適に過ごせるよう敷物や掛け物を整えた。

いつでもいってしまいそうなのに、まだいかないでいてくれる。
私たちの”心”が”頭”に追いつくのを待ってくれているのかもしれない。

静かな日曜日だった。
寂しくて、胸を締めつけられるのに、穏やかな時間。
そんな時間を私たちに与えてくれる。
ルースは本当にすごい子だと思う。




月曜日の夜中、ルースが望むので支えて立たせていたら、ふらふらとテーブルの下へ歩いて行く。
そして、いつもしていたようにテーブルの下で寝た。


テーブルの下は、ずっとルースの指定席だった。
ルース用に、体圧分散マットを敷いてある。

玉座は嬉しかったが、やはり慣れ親しんだ場所で過ごしたかったのだと思う。

また足もとにルースがいる喜び
(すでに日付は19日)

自分の席に座って自分の足先がルースに触れ、ときおりルースが身じろぎするのを感じる。
毎日何気なくしていたことが、ほんの2日ぶりなのに、こんなに懐かしく嬉しいとは。


さらに驚いたことには、夜中過ぎ頃から、何度か歩いた。

完全に脱力していたのに、自力で立ち上がり、少しの距離ではあるが、ふらつきながら歩く。
前日の夕方までしていたように、部屋の中をゆっくりと確認しながら回ったりもした。


まるで、このまま良くなり、またご飯も食べられるようになるのではないかと錯覚しそうになる。
でも、そんなことは決してないこともまた、よく分かっている。



ルースは、ゆっくりと自分のペースで、旅立ちの準備をしている。
彼の邪魔をしないよう、そっと手助けをするのが、我らにできる最善のことだと思っている。
16日の夜
寄り添うエボニー

今日も、彼岸と此岸を行ったり来たりしながら波に揺られる小舟のように、ゆるやかに変化しているルース。

まったく反応がなく呼吸も微かな時は、彼岸に行っているのだと思う。
目に力が戻り、立ち上がるときは、此岸に戻っているのだ。

此岸に帰ってきている時のルース


急がなくてもいいし、頑張らなくてもいいよ。
ルースのペースで、思うとおりにやりなさい。
耳元でそうささやいている。