7/28/2013

捻れた胃 〜後


なんとか手術は乗り切ったホープを病院に預け、家への帰り道の車中で母と私は、2時間ずっと喋り通しだった。

悲観的な口調になりがちなのを懸命に希望がある方へ修正しつつ10時過ぎに家に着くと、朝の9時半過ぎからずっと家の中だったにも関わらず、犬も(ブラウニーも)猫も、お利口で留守を守っていてくれた。



いつ電話がかかるか分からないから、携帯電話を最大音量にして、充電しながら(そうやって万端に備えておけば逆にかかってこないと信じた)ベッドにはいると、眠れるわけないと思っていたのにあっという間に眠り込んでいた。

翌朝目覚め、電話がかからずじまいだったことを確かめた時は、それはもう嬉しかった。
とりあえず、最大のヤマは越えたのだ。・・・たぶん。


午後から早退して面会に行くつもりではいたが、開院時間を待ちかねて電話をしてみた。

初めて話す男の先生が出て、
「昨夜は嘔吐がありました。
 今朝は少し元気が出て、ケージの中で立ち上がりましたよ」
と説明してくれたので、つい喜びかけたら、
「血液検査の結果もまだですし、急変の恐れは十分ありますから」
と釘を刺された。

こういう時、仕事柄、データは重篤なのに一見元気そうに見えるパターンがリアルに想像できてしまう。


電話がが鳴らないようにひたすら祈りつつ外来を終え、午後の早退時間まで仕事に集中する。
時間が経てば経つほど、少しずつ安心が大きくなってきた。


早退の申告時間になると同時に病院を出て家に帰り、母を乗せて車を飛ばす。
便りの無いのが良い便り。
きっと大丈夫だ。きっとケージの中で目を覚ましてる。
すでに今朝、立ったりしたっていうじゃないか。
私達が行ったら、喜んでまた立ち上がるかもしれない。

2時間がずいぶん長く感じられたが、ともかく病院に着いた。
昨日と同じ診察室に通され、面会に呼ばれるのを待つ。

できれば、先に説明が聞きたいな。
データがいいのか悪いのか分かってからホープの顔を見たい。
一見元気そうでも、心底喜べないもの・・・

そんなことを母と話していると、背後のドアの辺りで人の気配がした。
ドアの方を向いていた母が私の肩越しに目を挙げて
「あ!」
と驚いたような笑顔になった。

振り返れば奴がいた。
抱いてきた看護師さんが、そっと床に降ろしてくれる。
壁にかけられた輸液ポンプの速度は70ml/Hになっていた。


「もうすぐ先生が来られます」
といって看護師さん達は出ていった。

昨日のホープが嘘のようだった。
「立っている」どころか、元気に抱きついてくるではないか。いつものホープだ。
唇に触れると、ぽかぽかと温かかった。
写真を撮ろうとしたが、ホープも母もじっとできないからまともに撮れない。
とは言っても、狂喜しているのは人間で、ホープの方は中の上くらいの喜び方だった。
彼にしてみれば気がついたら見慣れぬ所にいたが、皆親切だし居心地はいいし、そうこうしていたら家族が迎えに来た、という感じだったのだろう。


やがて、昨日とは別の、色白で物腰柔らかな若い先生(たぶん今朝電話で話した先生)が入ってきて、説明してくれた。

血液データは、多少の異常はあるものの、再還流障害や多臓器不全を示唆するような異常値はみられない。
朝のうちは気分が悪そうであったが、胃の中のものを吐いて、楽になったようだ。
朝と昼と院内を軽く散歩したが、どうしても排尿しないため導尿したら大量の尿が溜まっていた。
といったようなことを説明してもらう間、ホープは隣で座って一緒に聞いていた。
そうそう、吐いた時、すごいものが出ましたよと言って見せてくれた写真には手羽が一本、まるごと写っていた。
手羽を丸ごとやるなんてバカ飼い主もいいところだと話題になっていることだろう。
だがそんなことより、うまく吐けたことに母も私も安堵した。
術前のレントゲンにも写っており、あれがお尻から出せるか心配だったから。
もう一本は、捻転を起こすまでにきれいに消化していたわけだ。

「危機は」
一番聞きたかった言葉が先生の口から出た。
「脱したと言っていいでしょう」

おとなしい子ですね、みんなの人気者ですよ、と言いながら差し出した先生の手を、ホープが舐めている。
その様子を眺めながらふわふわと夢見心地でいると先生が、
「もう少し一緒にいてあげて下さい。
 その方がホープ君も元気が出るでしょうから」
と言って私達だけにしてくれた。
それから、たっぷり20分は過ごしただろう。
ほんの1、2分、良くても柵越し、場合によっては部屋の外からガラス越しに姿を見る程度だろうと思っていた。
こんな嬉しい予想外はない。
母も私も、時々「よく頑張ったね」「よく戻ってきたね」と話しかける他は口数少なく、ただニコニコしながら、ひたすら撫で続けた。

さすがに10分もすると疲れたようで、足もとで横たわり、そのまま安心したように眠ってしまった。
寝顔はやはりやつれている。


やがて先生が看護師さんと共に戻ってきて、
「もう寝ちゃったのですか」
と笑いながら面会時間の終了を告げた。

人の気配にさっと立ち上がったホープを、看護師さんが抱き上げて、
「ではお預かりします」ともう一度私達に見せてくれた。

その時のホープの顔は、今思い出しても可笑しい。
目をまん丸にし、口はミッフィーのように小さく結ばれ、まさに鳩が豆鉄砲を食らったとはこのことだという表情だった。
参考写真
(その時は撮れなかった)

私達からまた離されるとはこれっぽっちも思っていなかったのだ。


実は母はその夕方から、母の妹二人と旅行に行く予定だった。
以前から行きたがっていた姉妹での温泉旅行が、ようやく実現して、とても楽しみにしていた。

ホープの具合が悪くなってすぐ、
「もう明日のは取りやめるわ」
と言っていたのだが、保留にさせていた。
きっと、行けるようになるから、ぎりぎりまで待ってみようよと。
『もう家にいたって虚しいから行くわ』ではなく、『これで安心して心おきなく行けるわ』となるはずだからと。

そして、実際にそうなった。


鳩ぽっぽ顔のホープを動物病院によろしく頼んで帰路につき、途中母を叔母達の家に送り届けて、ひとり家路についた。
また、家に着いたら夜の10時半だった。
犬も猫も、いい子で待ってくれていた。


その後2日間は、さすがに面会に行く時間はなかった。
毎日電話で容態を聞く度に、良くなっていると伝えられ、木曜日にかけた際には
「明日来られるのでしたら、退院できますよ」
と言われた。
なんという回復ぶり。

母も温泉旅行を堪能して、その晩帰ってきた。
ホープを迎える準備は整った。
出迎エ!


19日の金曜日。
1時間早退し、病院へ向かう。
もう道も慣れたものだ。

今までとは違う診察室に通されて待っていると、またしても初めての先生が入ってきた。
今度は、苦悩しているような顔の若い先生だった。

17日以後の血液データの話や、今後の注意点などを聞き、お願いしてあった手術記録をもらった。
心電図、X線写真の他、術中写真もけっこうたくさん入っていて良かった。


再発率について問うと、
「当院では今まで一度もありません」
とのことだったが、一般的には(術式によっても違うらしく)1%〜10%とばらつきがあるとのこと。
”当院”の症例数や追跡期間までは確認しなかったが、ともかく今までのところ再発ゼロであるというのは心強い台詞だ。

あまり強くではないが、予想通り
「犬と人では必要な栄養が違います。食生活を見直して下さい」
と言われた。
そして、当然の如く療法食フードが処方された。
胃捻転後にドライフードは今まで以上に避けたかったが、ここは謙虚に、処方された分は使うことにした。


そうこうしているうちに、ホープが連れて来られた。
今回は抱っこではない。走り込んできた。

歓喜の再会、と思いきや、ホープに喜んでいる様子はみられない。
聞いたこともないような悲痛な声でキューキュー鳴いて、リードを受け取った母に跳んだりぶつかったりしている。
その後、先生と交代して入ってきた事務の方とお会計をしたり書類をもらったりしていたら、お世話になったベテラン女医さんが顔を出して下さった。
なのにあまりに横でホープが騒がしく、お礼が十分言えなかった。


事務員さんが、クレジットカードを持って出ていったので、母からリードを受け取る。
ホープの目が泳いでいる。
厳しい声で座るよう命じ、そのまま待機させていたらようやく呼吸が落ち着いてきた。

手術翌日の面会後に置いていかれたことがよほどショックだったようだ。
今日は、再会の喜びよりも、また置いていかれないようにと必死で、喜ぶどころではなかったのだ。


戻ってきた事務の人に、女医さんに十分お礼が言えなかったので、よろしくお伝え下さいと言ったら、申し訳ないことにもう一度呼んで下さり、今度は先生方にもスタッフの方々にも、存分に感謝の気持ちを伝えることができた。

先日とは別人のように、笑顔の優しい女医さんが私達と出ていくホープを見て、
「ふふふ、嬉しくて跳びゆう」
と看護師さんと笑っていた。

先生達にも、良い病院に導いてくれた友人達にも心底感謝しながら病院を後にした。


家に帰ってまずしたことは、特盛りの良いうんこ。
(もちろんホープがである)
それから、迎えに出た犬達に少し匂いを嗅がれただけで、あとはもういつも通り。拍子抜けするほどだった。

違うことと言えば、食餌が日に3度になったことと、しばらくはひとりだけふやかしたドライフードであることくらい。
あ、白いチョッキを着ていることもだ。
ウェル、そんなに嬉しいのかい
(暑いだけです)
私達人間の方は、いることが当たり前だったホープが、もとどおり当たり前にそばにいる幸せを噛みしめた。
これを書いている今も噛みしめている。
長い長い、5日間だったよ。
おかえり、ホープ、おかえり。


それと、この日はホープの退院日でもあったけど、ルースの10歳の誕生日でもあった。
というわけで、ご飯の上にひとりだけ、ジャーキーをトッピングしてもらった。
我々人間とホープの次にハッピーだったのは、ルースだったに違いない。

7/22/2013

捻れた胃 〜前





ホープのやつめが三途の川を渡りかけた。

胃捻転だ。



今回は、自分のための記録の意味合いも大きいので、普段ならブログ向けには割愛するようなことまでチマチマ書くつもりです。
冗長になりますが、お見逃しを。

そして、わずかでも他の方に参考にしてもらえる部分がもしあれば、幸いです。




7月15日は祝日の月曜日。
当直明けだったので、帰宅してから犬達に朝ごはんをやったのは10時頃だった。
早朝から4時間ほどたっぷり外で遊んでいた上に前夜は絶食だったから、相当お腹は空いていたろう。
絶食明けの食餌量は、いつも通りか、やや少なめにするのだが、今回はいつもよりやや多めになった。
いつもの量で作り終えた時点で、解凍した手羽がちょうど8本あったことに気づき、あまり深く考えずに2本ずつ足したのだ。

ホープは黒犬4頭の中では食べるペースは一番遅い。
遅いが、食後に妙にテンションが上がるため、いつも食べる前から、食後1時間くらいまでは、短めのリードで繋いでいる。
この日も、それはいつも通りだった。




私がちょっと引っかかったのは、午後2時ごろ。
なんとなく、いつもに比べて少しホープが落ち着かないような気がした。
母に「ホープ、なんか様子がおかしくない?」と訊いてみたが、分からないようだった。


その時は漠然と感じただけの『少し落ち着かない気がした』理由を後から考えてみたところ、次の3点だった。

外へ出たがったのに、実際出ると何もしない

ドアのところで外へ出たそうなそぶりをしたので出してやったが、何もせず、私の前で座って両手をかけた。(甘えるとき、もしくは何か訴えるときの仕草)

その後、私の部屋に入ったがすぐ出てきた

私が寝に行く時以外は、私の部屋のドアは勝手に開けてはいけない(開けられるのはホープだけ)ことになっているが、雷などに怯えたときは開けて逃げ込むことがある。
せっかく禁を破ってまで開けて入ったのに、すぐ出てきた。

さらに、マットで寝ようとしかけて途中で起き上がった

完全な伏せの体勢になる手前で起き上がり、ソファに移動して、結局そこで寝た。


機嫌も良さそうだったが、四万十に移住して以来、折にふれ犬達の腹部をチェックするのが癖になっていたため、無意識に腹の両側を触ってみた。
膨らんでいる様子は全くない。

だが、さらに念のために下側まで手を滑らせ、ヒトでいうみぞおちから後ろへ向かって触っていくと、下腹の辺りに握りこぶしほどの大きさの固い部分があるのに気づいた。
今までにも時々、犬達の下腹が少し固くてドキッとすることはあったが、間もなくいつも通りになっていて、食べたものだか便だかだったんだろうなと思うことがあった。
だが、今回は固さがそれらの時と明らかに違っていた。


母ですら分からない程ほんのわずかだが、落ち着きがないことと、これまでとは違う固さが下腹にあることから、胃捻転だと半ば確信し、血の気が引いた。


病院のあてがまったくないわけではなかった。

四万十から車で2時間の高知市内に、とてもいい動物病院があると、犬友達のグーママさんから教わっていた。
なにか軽い症状があったときに様子見がてら一度かかっておこうと思っていたが、気軽に行ける距離ではないため、まだ果たせていなかった。
そこなら、土日祝日も診察しているから、今から行けば診てもらえる。

だが、胃捻転かも知れないホープを2時間も車で揺らす(地道1時間、高速1時間)のは悪いに決まっている。
できれば近くで診てもらいたい。

初代おもちが亡くなった時のことと、ニューおもちを迎えた時のことを考えると、祝日の午後に近くで診てもらえ、かつ必要に応じて開腹手術をしてもらえる望みなどないとは思ったが、念のため、急いでOさん、グーママさんに電話で訊いてみた。
やはりお二人とも、時間外はどこもダメだろうとのお返事。
ムダヤッテ

それでも無駄を承知で少しでも可能性のありそうな2軒に電話をかけた。
一軒は、留守電すらなかった。もう一軒は、留守電に切り替わったので胃捻転らしいので緊急で診てほしいと伝言を残した。結局連絡はなかったが。

その時、グーママさんから電話があった。
その高知市内の病院はグーママさん家のかかりつけなので、四万十の方に提携病院などなにか方法がないか問い合わせてくれたところ、2時間で来られるからすぐ来なさいと言ってくれたというのだ。


頭をフル回転させて考えた。

30分以内で行ける範囲に動物病院そのものは何軒もある。外科系の病院もある。
だがどこも、時間外に診てくれる可能性はほとんどゼロだろう。
私の体験だけでなく、Oさんの体験でもあったし、グーママさんもそう言っていた。

それでも一縷の望みをかけて、とりあえず片っ端から留守電を入れてみるか?
しかし、返事がかかってくるのをいったいどのくらい待つ?
そして、待った挙げ句にやはり返信がなかったら、それから2時間かけて高知市内へ行くのか?


結論はすぐに出た。

今、ホープはまだ軽症だ。
市内の病院なら、診てもらえるのは100%確実だ。
そこは設備が整っていて、獣医師も複数名いる。
かかりつけのグーママさんが太鼓判を押している。
移動で多少悪化したとしても、確実な方を選ぶべきだ。

後から考えれば答えは明白なのに、その時は「一刻も早く!」と思うあまりに一瞬迷ったのだ。




車に乗せる時、ホープはけっこう元気だった(下の道に車を見つけて吠えながら走っていこうとするのを慌てて抑えたほどだった)。

ちょっと道を間違えたりしながら2時間走ってようやく病院に着いた時も、まだ傍目には元気に見えたろう。
待合室でお腹に触ってみたが、固いしこりがひとまわり大きくなったかな?という程度で、他の飼い主さんもニコニコしながらホープを見ていた。


なお、嘔吐に関しては、車に乗る前と出発してから30分後の2回、茶色っぽい胃液をそこそこの量吐いた。
小さな肉片も混じっていて、母が止める間もなくまた食べてしまった。
車中での嘔吐は、くねくねした山道だったので、車酔いのせいか、病気のせいかは分からなかったが相変わらず機嫌はよく、ひょっとしてただのフン詰まりかもしれないとまで思ったくらいだ。
まもなく順番が来て、診察室へ入る時(午後5時頃)ですら、しっぽを挙げ、弾むような小走りであった。

診察室に入ってからはあまり歩きたがらず、座ったり伏せたりしていたが、涎を垂らすわけでもなく、ほどなく入ってきた先生も私の話を聞いて下腹部に手を伸ばし、触れて初めて
「ああ、確かに固い。緊急性がありそうですね」
と頷いたほどだったのだ。


まず体温を測ったが、この時にはホープも先生の手を舐めたりし、先生と私達も、
「大阪から来られたんですか、僕もなんです」
などと雑談をする余裕まであった。


次に心電図をとり、期外収縮はまだないですねと説明を受けた。
続いてレントゲンを撮る準備に先生が席を外した頃から、少しずつヨダレをたらすようになってきた。
明らかに落ち着かない。

まもなくレントゲン室に抱いて運ばれ、撮影を終えるとまた診察室に戻って採血をした。


その頃からだ。
急激に腹部が張り始めた。呼吸が荒くなり、そわそわと動き回る。


採血の後、先生と看護師さんは奥へ行き、私と母とホープが診察室に残されたが、刻一刻と様子が悪くなっていく。
とにかくじっとしていられず、少しでも楽になる体勢・場所を求めてふらふらと動き続けるのだ。


しばらくして先生が戻ってきて、
「胃拡張・胃捻転という病気を聞いたことがありますか」
と本を出して説明を始めた。
ホープのレントゲン写真もモニターに出して見せてくれる。
この時点では捻転を起こしているかまでははっきりとは言えないようだったが、脱気で改善せねば手術が必要になること、捻転を治した後に胃固定術を行うことなどの説明を受けた。
その頃には、ホープはかたわらでウーウー、ヒーヒーと辛そうなうめき声を上げ始めていた。

なんだかどんどん苦しそうになってきています、と言うと、先生はそうですねと答えてなにやら急いでまた診察室を出て行った。


なかなか先生が戻らないように感じたが、実際はさほど時間は経っていなかったのかもしれない。

横たわって悶えたり、立ち上がったりしていたホープの目が、突然上転した。
すぐに戻りはしたが、しばらく焦点が合わない。
そっと呼びかけるとはっとしたように少し目の力が戻った。

横から見ていた母が舌の色が悪くないかというので覗き込むと、確かにやや赤味が薄い。
触ってみると氷のように冷たくなっていた。
立ったまま、ショックを起こしたのだ。

母が奥へ先生を呼びに行ってくれた。
母から少し遅れて戻ってきた先生に、口の粘膜がひどく冷たいと伝えると触れ、本当ですねと言うやまた奥へ。今度は看護師さんを伴ってすぐに戻ってきて、ホープを奥の処置室へ運ぶ。


そこにはベテランらしき女医さんもおり、すぐさまエコー下に胃の穿刺が試みられた。

だがすでにホープは朦朧としており、不穏状態で穿刺ができない。
おまけに、エコー所見上ガスがほとんどないからこれでは穿刺しても抜けないだろうとのこと。

このまま全身麻酔をかけ、手術で捻転を治さねばならないが、麻酔をかけた途端にそのまま亡くなってしまうかも知れませんと女医さんが説明する。
一般的な全身麻酔に伴うリスクの話かと確認したら、そうではなくホープの現状がそれほど重篤ということだった。
しかし、だからといって手術をしなければ死ぬのだ。
やるしか、お願いするしかないではないか。
先ほどエコーの準備をしている間に、既に手術承諾書は書いてある。
「お願いします。」
私の言葉が終わるか終わらないかの間に、女医さんの鋭い声がスタッフに飛んだ。
「緊急手術!」

右前足に点滴ルートが確保され、麻酔の筋肉注射が打たれたが、ホープの意識が無くなったのが薬のせいかどうか、もはや分からなかった。


エコー室から中央の処置室に運ばれる。

気管内挿管が終わる頃、何人もの先生が集まってきた。
「どうした」だの「何しているのか」だの訊く先生は1人もいなかった。
皆、ホープの検査結果を把握していた。

手術に先立って、少しでも早く圧を下げるため、腹部外壁からの胃の穿刺と、口から胃管を入れての胃内容の排出とが同時に試みられたが、やはりガスが少ないため穿刺の効果は得られず、捻転がひどいため胃管は胃まで入らなかった。

この頃には、毛を刈られたホープのお腹はまさにパンパンという言葉がぴったり、破裂しそうなほど膨らんでいた。

先ほどの女医さん(院長夫人だったらしい)が、さらにベテラン風の先生(院長先生だったらしい)に、エコー所見を説明しつつ怖い顔で
「厳しいと思う」
と話している。
処置室の雰囲気は深刻だった。
「もう(胃管での処置も穿刺も)時間の無駄だ、早く開けよう」
との院長の指示と同時に、だらりとしたホープの体はあっという間に手術室に運ばれた。

恐らく脾臓も取らねばならないこと、早く処置しても死亡率は3~4割だがホープの状況はもっと悪いこと、そして、
「覚悟して下さい」
と言われて、私と母は診察室に戻り、手術の終わるのを待った。

時計を見ると6時半過ぎだった。
オ祈リスルノ


処置が始まってから、私の頭の中は二つの感情で占められていた。

診察が始まったときは元気だったのになんでだ、という怒りと、とにかく一刻も早く捻転を解除してくれ、という焦り。

まだホープが元気な診察初めのうち、先生が奥へ行って待たされている間に、心配のあまりいらだった母が
「何をやっているんだろ」
と文句を言った。
必要な検査をしていると、手際よく進めてもけっこう時間がかかるものだと自分の仕事で知っている。
「手術になるかもしれないのだし、必要な検査をきちんをしないと。それぞれの結果が出るのに多少の時間はかかるから、仕方ないよ。無駄なくやってくれていると思うよ」
母もこれで納得した。

しかし、急変したホープを前に、そんな冷静さは消し飛ぶものだ。
診察を始めてもう一時間以上経ってるじゃないか、さっさと処置に入ってくれなかったからだ。
エコー室で、人事不省に陥ったホープの毛を握りしめながら、声に出さずにいられなかった。
「来たときは元気だったのに・・・」
耳にした女医さんが手元は休めることなく申し訳なさそうな顔をこちらに向けて短く答えた。
「そうですよね、時間かかりすぎだったよね」

処置までの時間がかかりすぎたと認めたことになる言葉だ。
だが、これで私の頭に上っていた血はすっと下がり、怒りが和らいだ。

飼い主の気持ちを分かってくれている。それを理解した上で、だからこそ今からは全速力で助けられるよう頑張りますから、という姿勢が伝わった。


私も本当は分かっていた。

確かに、急げばもっとスピーディに検査を終えられただろうが、あの時点でホープの状態は良かったのだ。
時間に余裕があるならば、バタバタするより、診療は丁寧・確実に進めていくべきだろう。飼い主への説明だって、じっくりするに越したことはない。

ホープはだんだん悪くなったのではなく、急変したのだ。
急変してからの手際の良さは目を見張るものがあった。
診察の進め方に落ち度があったわけではない。
頭デハ分カッテタンダヨネ

手術中、母との話にも出たのだが、これが大阪のかかりつけ医でのことだったら、どんな結果になったとしても、怒りも不満も伴わず受け止められただろう。
なぜなら、絶対的に信頼しているからだ。

今回、友人のお陰で良い先生達にも良い設備にも恵まれたが、まだ『信頼』がなかった。
初めての病院なのだから、当然のことだ。
これだけは、時間を重ねて生まれるもので、人から言われて得られるものではない。
そのために、厳しい状況になったとき、負の感情が吹き出てしまった。

だが逆に、そういう厳しい状況下だからこそ、短時間で信頼感が生まれることもあるのだ。


少し前に読んだ、Dog actuallyの胃捻転の記事を思い返す。
あの犬も、やはり不利な地理条件で発症し、お腹が膨らんでからの時間はホープよりはるかにかかったのに、助かったじゃないか。
ホープなら、もっと大丈夫だ。お腹が本格的に膨らみだしてから1時間も経ってないのだ。

いや、なのにホープのあの急変ぶりはどうだ。
今までに見た他の胃捻転の話でも、膨らんでからもう少し時間的余裕があった。
やはりホープは助からないパターンなのか。


診察室のソファは大きくて立派なものだったが、それでも私は手足に力が入らず、ちゃんと座っていられなかった。

母と二人でぶつぶつぶつぶつと祈った。
「神様、どうかホープを助けて下さい」
「お父さん、ガディ、ホープを追い返して」
「ホープ、まだ逝くな」
父とガディの存在は大きかった。
ホープに万が一のことがあっても、向こうで迎えてくれると思うと少しは気持ちがマシになる。

それと、涙なんぞ一滴も出なかった。


手術が始まって間もないうちに呼ばれたらどうしよう(つまり術中に急変したということだから)と思っていたら、30分も経たないうちに看護師さんがやってきたので震え上がったが、モツをどのくらい食べさせたか訊かれだけだった。


手術が始まって1時間、また看護師さんが呼びに来た。
「もう胃を戻して縫ってるところなので来て下さい」

私と母は急いで手術室用のガウンを着、手術室に入った。
術野を覗くと、綺麗な色の胃が見え、女医さんが手早く閉腹している最中だった。
きれいな色になったホープの胃
(頂いた術中写真から)

院長先生の説明によると、
胃も脾臓もひどい色だったが、捻転を戻したら胃は血行が戻り良い色になった。
脾臓は破裂し腹腔内出血を起こしており、脾摘を行った。
捻転が戻ったので口から胃管を入れ(最初に診察してくれた先生が頭側で汗だくになって頑張っていた)、中身を出してはいるが、ドッグフードならサラサラと抜けるところ、モツなので、管に詰まって難渋している。
手術は予定通り行えたが、助かるかは分からない。
ということだった。


術中死を免れたこと、胃の色が良かったことにわずかながら希望を持って再び診察室に戻って待つ。

母も私もひたすら神様に祈った。もうそれしかなかった。




それほど待たないうちに、診察室の外に足音がし、看護師さんがバスタオルを抱えて入ってきた。
診察台に丁寧に敷きながら
「麻酔が覚めてきたので、ホープちゃん連れてきますね」
と言うではないか。
とにかく無事に手術が終わり、しかも早くも麻酔が覚めてきているというだけで、一気に気持ちが明るくなる私達。

まもなく男の看護師さんに抱かれて運ばれてきたホープは、目をひらき、わずかだが頭をもたげてこちらを見ていた。

台にそっと寝かせてから看護師さんが
「着せてる途中で目が覚めて動き出しちゃって・・・」
と言いながら片肌脱ぎだった保護衣を整えてくれた。
意識が戻ったのが嬉しくて写真を撮った

そう言えば、ガディも若い頃に歯石除去のため全身麻酔をかけようとしたら、通常の3倍量の薬を打っても、けろっとして診察室を歩き回っていた。
グローネンダールって、麻酔に強いのだろうかなどと頭の片隅で考える余裕が出てきた。


看護師さんも出ていき、先生が来るまでの間、母と交互に撫でながら話しかける。
ぼんやりとではあっても、意識が戻っている事が本当に嬉しかった。

か細い声でウーウー鳴くので、痛いか苦しいかと思ったら、私達の呼びかけに反応していたのだった。
声をかけると耳を寝かせたり、何度かは小さくパタパタパタとしっぽを振り・・・一度だけだが、右前足をようやく持ち上げて、頭のそばにいた母の肩にかけた。
まだ自由の利かない体で、これがしたかったのだと思う。
胸や肩にそっと前足をかけて甘えるのがホープの癖

やがて最初の先生が入ってきて、手術自体はうまくいったこと、だがこれから再還流障害による死亡が危惧されることの説明を受けた。
摘出した脾臓
(左は大きさ比較のための母のiPhone)

私達が声をかけないと、ホープは声を立てずに眠っている。

説明の後、少しホープと過ごす時間をもらえた。


それから、ホープは看護師さん達に抱えられて入院室に運ばれていったのだが、またすぐ「奥へどうぞ」と呼ばれた。
何かと思えば、入院室での様子を見せてくれたのだった。
状況を逐一見せてもらえ、安心できる。

さっき、私達の呼びかけに反応したホープは、もうピクリともせず、向こう向きに横たわっていた。
ホープの輸液ポンプは100ml/Hで動いていた。


24時間は予断を許さないことを改めて言われた。
今夜がヤマです、とも。

よろしくお願いしますと頭を下げ、すでに施錠されていたドアを開けてもらうと、外は暑苦しく湿った夜になっていた。