6/13/2019

2ヶ月遅れの





4月13日でアニューは4歳になった。


やろうと思いつつ毎年できないままだった誕生日記念動画を、今年はとうとう作ってみた。



この4年間を、というか主に最初の1年を、3分、長くてもせいぜい5分くらいの短い動画に詰め込もうと思った。


無謀だった。



10分以内でなんとか収めようと頑張った。

ホープと

無理だった。



結果、38分強のアホみたいに長い動画ができあがった・・・

エボニーと




ひまでどうしようもない時に、見たいところまで見てもらえたらと思います。
どこで中断しても大丈夫です。

あと、老母、愚弟、私のむさ苦しい姿と声がけっこう入っているのもご容赦くださいまし。



そうそう、生後2ヶ月半の時には、ソフィと共に生食セミナーの実食モデル犬もつとめたのだ。

もりもり食べて会場はおおいに沸いた



6/12/2019

アニューのひみつ4



今日は狼犬と暮らして分かったこと、感じたことを書いてみたい。


アニューのひみつ1でも書いたが、狼犬は個体差がとても大きいので、「狼犬というものは〜だ」とひとくくりに語るのは危うい。

しかし狼犬全体に共通する点も、もちろんいくつかある。


私はそれを、狼犬の飼育本や、狼犬飼いの先輩達から教わった。

ちなみに、私がアニューの親元の友人から勧められて読んだ本はこの2冊で、とても助けられた。

Living with Wolfdogs

Wolfdog A-Z

毎夜英語と格闘するのをフラが見守ってくれた





犬には、犬種によって得意分野がある。
走るのが得意、嗅覚が優れている、アゴが強い、スタミナに溢れている、などなど。


狼犬は、すべての分野で最高レベルの能力を持っているそうだ。



素晴らしいことだが、飼うとなるとどうだろう。

彼らがクタクタになれるほど十分運動させるのは並大抵のことではない。
アニューは2~3時間、未開の山林を走り回ってもへっちゃらだ。


ずいぶん昔に狼犬たちとの散歩に同行させてもらった時、彼らが3mほどの垂直の崖をこともなげに上り下りするのを見て驚愕した。
しばらくは、会う人ごとにその話をしたものだ。





飼育設備にはお金がかかる。


2mくらいのフェンスは越えてしまうので、屋根をつけるか、かえしが必要である。


地面が土の場合は、フェンスから1mほどの幅で金網を敷き込む必要がある。
穴を掘って脱走できるからだ。


もちろん丈夫でなければならない。


アニューは、私がペンチで曲げられない金網を一瞬で曲げた。





餌代がかかるのは言うまでもなく、大量の肉をコンスタントに調達せねばならない。
狼犬はドッグフードを受け付けない犬が少なくないのだ。

生後5ヶ月頃

血便になったりするそうだ。





狼犬は、人間との関わりが遺伝子レベルで組み込まれてはいない、というのも重要な点だと思う。

普通の犬のように最初から人間に懐くのではない。
彼らなりに考え、納得しながら関係性を築いていく。


狼犬を迎えたその日から、丁寧に向き合い、彼らの信頼を得、ゆっくりと絆を育んでいかねばならないのだ。



そうやって関係を築いても、接し方次第であっという間に壊れてしまうそうだ。

悪戯しているところを見つかった


心ない飼い主にひどい仕打ちを受けてもなおシッポを振って慕い続ける犬の姿を映像で目にすることがあるが、あれは犬だからこそ起こる悲劇なのだ。

狼犬を飼うことで、逆に犬がヒトの伴侶としてどれほど素晴らしく尊い存在なのか、どれほどヒトに対して寛容なのか、あらためて実感した。





私は狼犬に関してはほぼ素人だ。
飼育歴はようやく4年目に入ったところだし、アニュー1頭しか知らない。

だから、今回は「狼犬」ではなく「アニューという狼犬」について書いている、と思ってほしい。





私はアニューと暮らせて幸せだし、アニューがいなかったであろう人生はもう考えられない。

が、もし今4年前の自分に会ったら、こう言うだろう。
 「我が家にはアニューは迎えるべきではない」

理由は簡単だ。
我が家には、アニューと共存できない家族が多すぎる、からである。



ヤギは当時はいなかったが、鶏はすでにいた。
それだけで、本当ならアニューは家族としてすでにフィットしない存在だったのだ。

なぜその当時に判断できなかったのか。


知らず知らず、アニューを迎えるのに都合のいい考え方を私がしてしまっていたせいだ。



アニューを迎えるかどうかを家族会議で決めたとアニューのひみつ3で書いた。

が、当然その前段階として、書籍やネットで調べただけでなく、狼犬飼育経験の豊富な親元の友人との話し合いも十分した。
その中で、友人からは小動物と共存できるかどうかは個体次第だという話もあった。

それなのに、狩猟犬タイプの犬を飼ったことがなかった私は、小動物も群れの仲間として認識させれば大丈夫だろうと安易に考えてしまった。


本当に強い狩猟欲をもつ犬がどんなものか、分かっていなかったのである。





その結果、アニューは生後3ヶ月の時に、鶏を一羽、襲って食べてしまった。

当時アニューは我が家に来てまだ2ヶ月ちょっと。
まだ関係を構築しはじめたばかりである。


対して雛鳥から卵を産むまでに育て上げた鶏たちは皆、私にとても懐いていた。



襲われたのは、中でも特に甘えん坊だった「ぶち」という鶏だった。
その時も、鶏の群れから一羽離れて、私の後を追いかけてきたのだ。

鶏達は犬たちと完全に共存していたし、アニューとも庭にいるときは一緒に過ごさせていた。
だから突然アニューが飛びかかった時もぶちは安心しきっていて、ほとんど逃げるそぶりもなくやられた。



ぶちを咥えたアニューは、獲物を横取りされまいと茂みへ姿を消した。

万が一助かるかもしれないと、必死で探してようやく見つけたとき、アニューはぶちを頭の方から半分ほどバリバリ噛み砕いているところだった。

そして、私が近づくと恐ろしい声で唸った。





私はショックのあまり、あるまじき事を友人にメールしさえした。
 「もうアニューを飼い続けることはできない」
メールを打つ指が震えていたのを覚えている。


友人は折り返し電話をくれ、長い時間話をしてくれた。

話しながら、私はようやく自分が都合の良い解釈に偏っていたことに気づいた。
そのくせ、アニューを迎えた当初から心の片隅に不安を抱えてもいたのだ。

ホープと


可愛い、可愛いと、無心にアニューに接する母や愚弟と違い、家長として、新たな家族メンバーに狼犬を迎えた自分の判断が正しかったのかどうかという迷いもずっとあった。



もともと自信など持っていなかった上に完膚無きまでに打ちのめされた私だったが、話の終わりごろに彼女が言った言葉で、肩の力が抜け、もう一度アニューと向き合おうという気力をなんとか取り戻した。

友人は、
 「もしものときは、うちで引き取る心づもりはしてあるから。」
だから、あまり力まず、不安ばかりに引きずられず、やってみてはと言ってくれたのだ。


そして、こうも言った。
 「でも、もうアニューくんにとっての家族は、
  ハニフラさんちになってると思う」





振り返ると、私はアニューに接するとき、狼犬であることにこだわるあまり、不安から常に肩の力が入りっぱなしだった。

アニューからすれば、緊張した目で自分を見つめる私は、警戒こそすれ甘えられる相手とは感じられなかったろう。





その事件を境に、私はアニューを甘やかし始めた。
大きな心で優しく包むように努めた。

努めたからといって、すぐに変われるわけではないし、この2ヶ月間の遅れを取り戻せるわけでもない。


だが、心がけていれば、やがて自然と本当にそういう気持ちになるものである。

ゆっくり、少しずつ、私の心から不安は消えていき・・・アニューは徐々に私に甘えるようになった。



人により当然と感じるか不思議と感じるかは分かれると思うが、ぶちを食べられたことでアニューを恨む気持ちは微塵も湧かなかった。

自分が愚かだったせいであり、それをぶちが命をかけて教えてくれた、と感じていた。

逆に、アニューの中にぶちの命が流れていると思うと、以前よりさらに大切になった。





狼犬に憧れ、家族に迎えたいと思う人に。
もし、既に先住の動物がいるならば、狼犬とは共存できない前提で考えること。



実際に、小さな子猫と餌を分け合える狼犬はいる。
よそのトイプードルと仲良く散歩できる狼犬の群れはいる。

だが、自分のところに迎える狼犬がそうであるとは限らないのだ。



他の家族と安全のために分けねばならなくなった時、狼犬の場合は簡単な柵などではダメなのだ。
大きな口と強いアゴと、ずば抜けた瞬発力を持つ彼らにかかれば、一度のミスが取り返しのつかない結果を生む。





ぶちの事件以降、私はそれまで一緒に過ごさせていた猫たちとチワワを、完全に、万に一つの危険もないように、アニューと分けた。


屋外でのみ一緒にいた鶏達と違い、猫やチワワはもしかしたら共存できたかもしれない。
だが、賭けに出るつもりはなかった。



今も、アニューの小屋のかんぬきは何度も確認する。

アニューが小屋から出ているときは、めえ太と鶏達は頑丈な小屋の中から出られないし、逆もまたしかりである。

めえ太や鶏達がアニュー小屋の近くをうろついていると気が気ではない。





アニューがめえ太や鶏達と共存できないことで、人間達にも動物たちにも要らぬストレスがかかる。
そして、よけいなお金もずいぶんかかった。

今は人家の方へはアニューの心情的にも(臆病なので)物理的にも出られないようになっているが、もし今後、人家の方へ出ていく可能性がわずかでも出てきたら、アニュー用のランを作ってやらねばならなくなる。


それでも、人里離れていて家の敷地と山がつながっているおかげで、設備投資は少なくて済んでいるほうだ。



我が家と違って都会に住む友人や先輩達は、狼犬たちの住環境を整えるためと、安全を確保するためにかなりの投資をしている。

アニュー実家の庭
そこらの動物園より広く快適である


狼犬を飼うには、金銭的にも十分な余裕が必要なのだ。





長々と書いてきたことをまとめたい。

狼犬は、大きくて美しく、あらゆる方面にずば抜けた能力を持ち、家族と強い絆を築く。


その絆は一朝一夕にできるものではなく、丁寧に飼ってはじめて、徐々にかたちづくられる。


気質は統一されておらず、個体によるばらつきが大きい。

彼らを適切に飼うには、膨大な時間と労力とお金と、繊細な関わり方が必要である。





本当は、我が家にはアニューは迎えるべきではなかったのだろう、たぶん。

でも、アニューは我が家の家族になったのだ。
無理をかけてでも家族になったことこそ、縁だと思う。


愛おしく、かけがえのない存在である。