6/07/2019

アニューのひみつ3




2016年7月28日に書いたままだった日記を公開します。


なぜ当時出さなかったかというと、どうしても載せたかった写真が見つからなかったせいです。

外付けHDDに保存するということもちゃんと分かってなかった頃。
パソコンが壊れ、多くの懐かしい写真が失われました。

奇跡的に残っていた2009年のガディ

もしかして、CDに焼いて保存した写真の中にあるかも、と探したりしているうちに、そのままになってしまった日記です。

もう、載せたかった写真については諦めました。
文も、変なところもありますが、書いた時のまま出そうと思います。

アニューのひみつシリーズの前半はこちら。
  アニューのひみつ1
  アニューのひみつ2





アニューの秘密はまだ続く、と書いたけれど、実はもうあんまり秘密はない。
見たまんまだったりする。

今回は、アニューの秘密のわけ、を簡単に。
詳しく書き始めるととても長くなるので、簡単に。



なぜアニューが狼犬だということを秘密にしていたかというと、皆にまずは「狼犬」ではなく「一頭の犬」としての、ありのままのアニューを見て、受け止めてほしかったから。


そのあたりの経緯を、狼犬を迎えようと思ったわけもまじえながら書こうと思う。





狼犬は良くも悪くも他の犬とは違う目で見られることが多い。

シーザー・ミランの番組でも、狼犬専門のトレーナーさんが
 「狼犬は野性の本能と家畜の本能の狭間で混乱している」
と、狼犬を作り出すべきではないと訴えていた。



確かに、狼犬を幸せにしてやるのはなかなか並大抵のことではない。


それに、世界中で多くの犬たちが人間の手で生み出され、人間の手で殺されている現状で、わざわざ狼と犬をかけ合わせてまで作り出す必要があるのか。

ウー・・・ン・・・



では、狼犬は生まれてきたこと自体が不幸なのか?

どうしてもそうは思えなかった。

特別ラッキーなのかもしれないが、私が知り得た狼犬達はみな最高に幸せそうな犬たちばかりだった。

2009年頃、友人撮影

混乱しているなど微塵も思えない、むしろ両方の良さが輝いている、心の安定した犬たちばかりだったのだ。

飼い主さんの多くが、そんな狼犬にとことん魅せられ、長年にわたり狼犬を多頭飼いし続けている。


このギャップはなんだ。



この数年は、狼犬について思う時、昔のように単純な憧れの気持ちではいられず、何が正しいのか分からないモヤモヤした気持ちが重く広がるようになっていたのだ。





そんな時、友人から子犬誕生の知らせ。

計画段階から連絡をもらっていたが、最初は迎えないつもりだった。

なぜなら、その頃には、今後は年を取った保護犬を迎えたい、それも今いる犬たちがいつか天国へ帰り、1〜2頭になってから、と思うようになっていたから。

2013年、保護した直後のブラウニー



迷いはあったが、
 「お断りするわ」
と言った私に待ったをかけたのは意外にも母だった。

家族会議の結果、アニューは家族になった。


その理由としては、今の環境が申し分なく、狼犬を迎える最初で最後の機会だろうということももちろんあった。
が、なにより、「狼犬」にまつわるもやもやを、実際に自分が一緒に暮らすことで確かめたい、という気持ちがあった。

それに、友人は本当に狼犬について深い知識と理解をもっているし、もとより私は彼女を信頼している。
母犬も知っている。

もちろん、芯のところに狼犬への長年の憧れがあったのは言うまでもない。





そしてお迎え予定の5月3日が来た。

手の届かない存在と思っていた狼犬と暮らすことになった縁の不思議さ。


よその幸せそうな狼犬達に会えただけで満足していた時代から、いろいろな知識を得て、諸々の雑念も伴う状態で迎えた狼犬の仔。



そう、実は最初の数ヶ月は、喜び以上に不安や迷いが大きかった。

生後4ヶ月ちょっとの頃

熟慮し、勉強もして迎えたつもりだったが、これまでの犬育てと違い、他愛ない子犬のいたずらも、「狼犬だから」このままでは大変なことになるんじゃないか、手に負えなくなるんじゃないか、と先行きを心配してしまい、些細なことにもピリピリすることが多かった。





アニューが来て少しした頃、ブログで紹介を書こうとして気づいた。

飼い主の自分が、狼犬のフィルター越しにアニューを見ていてどうして幸せにしてやれようか。
狼犬の特性を生かしてやることと、狼犬であることにこだわることとは違う。



気づいたのは前進だったが、頭で分かっていても、なかなかそこの折り合いをつけるのには時間がかかった。


それが伝わるのかアニューの方も、私に従ってはいても、慕ってはいないようだった。



試行錯誤の毎日が続く中、私を大いに助けてくれたのは動物たちだった。


特に犬たちがいなければ、今はなかったと思う。


そしてもちろん、家族と友人たち。
老母も愚弟も共に苦労をし頑張ってくれた。


悩みや不安は、友人や、友人づての狼犬飼いの大先輩達に支えられて、ひとつひとつ解決していった。



そうやって、無事アニューとの最初の1年を過ごすことができたのだ。
亀の歩みながら、絆を深めつつ。


まだたったの1年と少しだが、自分の人生に、アニューと過ごせるページがあることを幸せに思う。





アニューは穏やかで、素直で、溌剌とした大きな子犬だ。


友人に
 「おっとりおおらかな仔がいればお願いしたい」
と頼んだが、ちゃんとそういう仔を選んでくれたおかげでもある。



ああ、簡単に書いたつもりなのに、こんなに長くなった。
予想通りだ・・・

今度は、アニューを迎えて感じたこと、狼犬と暮らすってどうなのかということを書きたい。

























4/01/2019

サクラサク






結局、暖かいまま過ぎてしまったこの冬だったが、春はちゃんと春らしさにあふれている。


先々週くらいにはつくしが生えまくり、


めえ太がたべまくり、


人間も少し楽しんだ。

つくしから出た胞子
酢味噌で頂きました



これからはタラの芽と筍の猛攻が始まる。

タラの木は数え切れないほど生えているので、この時期には毎日採って食卓にのせる。
お気に入りはやはり天ぷらだ。




贅沢な話だが、筍は、今の我が家にとって迷惑以外のナニモノでもなく、毎朝ちょっと頭を出したところを踏み折ってまわる。


うっかり見逃すと、とんでもないところに太い竹が生えてしまい、これを切るのには多大な労力を費やさねばならないからだ。

食べないのか?
そう、初めの頃は喜んで食べていた。

移住した直後に喜んで掘ったもの
(2010年)
当時の庭
夕暮れ時 崖の上から
イノシシ避けの柵もまだなかった

食べ飽きた頃、地元の知り合いの方が、それは見事な筍をとても美味しく茹で上げて持って来てくださるようになった。
さらに、遠方の友人からとても高級な筍を頂くこともある。

(アニューは腰を落としてオシッコする)

わざわざ我が家で下手くそに掘って下手くそに茹でた筍を食べる必要があるだろうか?

イヤ全然ナイ

イタドリやゼンマイも豊富だ。
春の味覚を存分に楽しめるのは、ここの暮らしの贅沢のひとつである。





食べる話ばかりしているが、花ももちろん次々に咲き始める。

ヤマツツジが花ざかり
キブシは種でどんどん増える
紅花トキワマンサク

今年は暖冬のせいもあり、ソメイヨシノの若木は梅より早く咲いてしまったが、成木は今満開である。

遠くに小さく見えるのがソメイヨシノ






桜咲くといえば、私も先月初めに結果発表があり、ようやく博士学位が取得できた。

昨年、長期間ブログを休んでいたのは、今年早々の学位審査に向け、最終追い込みをしていたせいだったのである。

この池は底が泥なので
こうなるよね

脳神経外科は専門医試験が非常に難しく(大学受験の時よりも勉強した気がする)、大学院在学中にそちらを優先した結果、学位の方はそのままになってしまっていた。

モンクさんも元気

学位は足の裏の米粒、取らないと気持ちが悪いが取っても食えぬ、とよく言われる。
しかし私自身は気持ち悪くもなかったのだ。
ただ祖父と母の願いであったから頑張ったのだが、取れてみると、やり残しを片づけたような晴れ晴れとした気分になった。



先月末に母校で授与式に出た。



会場となった講堂は、大学の歴史資料館の一室で、照明がとても素敵であった。

2年前の今日
左からブ、エ、ソ、ル、ウ