7/16/2017

ラッキー自分




10年以上前、前の病院の脳外科病棟の看護師さんが猫を拾って飼い始めたというので、何人かで家に遊びに行ったことがある。

その中に猫アレルギーだという看護師さんもいて、ぐすぐすいうのを「たいへんだね」などと同情していた。

ところが、ほどなくして目がゴロゴロし始め、ゴミでも入ったかと思っていたら、猛烈に痒くなった。
そして、くしゃみと鼻水が止まらなくなった。
アレルギーの看護師さんに逆に同情されるくらい酷くなった。



帰宅して、
 「私も猫アレルギーになったみたい」
と言うと母はあきれた顔をした。
 「前からそうじゃないの」
 「え、だって小学校の頃ミュー(猫の名前)飼ってたやん」
 「だからその間は喘息ひどかったでしょ」
コノマヌケメ

そういうことか・・・!
(私はまぬけだったのか、という意味じゃないぞ)





たしかに、私は赤ん坊の頃から湿疹が出やすく、なにかにつけてアレルギー反応を起こした。
小児喘息もひどかったし、こう見えて、実は病弱だったのだ。

猫アレルギーだったとは、まったく自覚していなかったが。
アホヤナア

成長と共にいつのまにかたくましくなって、あまりアレルギーを心配することもなくなった(ヤマイモとナスは今も食べられない。好きなのに)。

喘息は辛かったので忘れたことはないが、猫がダメなんてことはまったく頭になかった。



親も私に「あんたは猫アレルギーだ」とは言わなかった。

おそらく、あまり私の病状が悪化するようなら、そっとミューをなんとかする(親戚にあげるとか)つもりで様子を見てくれていたのではないだろうか。
ミューによく似た猫スリッパ
も:オムスビ?
いや、ミューだよ
もとい、スリッパだよ
む:コンニチハ
いや、スリッパですよ





アレルギーとは関係なく、もともと、我が家では犬を布団にあげることはしていなかった。
ときどき犬たちがベッドに上がるのを許すようになったのは四万十に来てからだ。
許サレタ
(手前から、ブ、こ、も、ソ)

ベッドリネンはすべて、毛がつきにくいものを使っているが、それでも寝床が毛だらけになるのは気持ちのいいものではない。





そんな私が、いまや毎晩猫たちと寝ている。

むろん掃除をするので、毛だらけの寝具で寝るわけではないが、毛玉の本体が私に寄り添っている。
グエ

それでも、なんともない。

いつ、なにがどうなってあんなにひどかったアレルギーが治ってしまったのか、自分でも分からない。





5年前の夏、友人がおこげと初代おもちを拾って困っていたとき、当然、自分の猫アレルギーのことも考えた。

引き取ることを決心できたのは、当初は、「預かり」ということにしていたからだ。
一生飼うことに比べると、ハードルは低い。

だが最大のポイントは、親戚の家にいた猫だった。



四万十に移住する準備のため、頻繁に大阪と高知を行き来していた頃。

帰高のたびに泊まらせてもらった親戚の家に、でっかくてふわふわの猫がいた。
野良出身の「ひめ」という雄猫。

猫アレルギーということをまたしても忘れて、泊まるたびにひめに会うのが楽しみだったが、くしゃみひとつ出た覚えがない。

ひめとのことがあったから、預かりでなら、おこげと初代おもちを引き取っても大丈夫だろうと踏み切れたのだ。





アレルギーは、怖い。
最初は大丈夫でも、だんだん出てくることもある。
命に関わることもある。
アレルギーを甘く見てはいけないのだ。

私は、大好きなヤマイモは、もう一生食べられない。
口の周りが真っ赤にかぶれても食べ続けたせいで、アレルギーが悪化したから。
(今は喉や口の中も痒くなり、息が苦しくなる)



その一方で、猫たちと眠れる幸せを手に入れることはできた。
ベッドに座った私の膝の上
フラもときどき加わる
同じ大きさに見える不思議さよ

眠りに落ちる前、夜中に目覚めたとき、ピントが合わないほど近くにある彼らの横顔を見るたびに思う。

朝、顔をちょいちょいする柔らかい前足の感触と、ゴロゴロいう小さな響きで目覚めるたびに思う。

私は、なんて幸運なのだろう。
















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