ルースが準備を始めた。
もう15歳半を過ぎているし、それなりに老犬生活は送っていたが、先週の連休明け頃から、急に足取りがおぼつかなくなった気がしていた。
それでも食欲は旺盛で、食餌の準備が始まると、寝ていても飛び起きて皆と足もとをうろうろし、自分の食器が運ばれると、はずむような足どりで走ってきた。
放っておいても、ぺろりと完食し、その後も何度も食器を舐めに戻っていた。
それが、14日(木曜日)の夜から、少し食べ方にムラが出てきた。
15日(金曜日)の朝は完食したものの、少し手助けが必要だったので、とても気になりながら出勤。
当直だったので、夕方からブログや動画作りをするつもりだったが、そんな気分にはなれずにいた。
ところが、母から、晩ご飯はぱくぱく食べたとメールあり。
準備中には、今までのように皆と一緒に催促もしていたそうで、心底ほっとした。
ようやく気分が晴れたので、ブログや動画を作り始めた。
そんなわけで、昨日更新した日記『暖冬だより』は、金曜夜遅くにできあがってはいたが、その日のうちのアップロードは間に合わなかったのだ。
(家ではネット環境が悪くてアップロードできないので月曜日の更新になった)
土曜日の朝に当直が明けて帰宅すると、ルースはいつもと特に変わらなかった。
母によると、朝ご飯は全部食べたが、少しつっかえて飲み込みづらそうにしたらしい。
これからはもっと飲み込みやすい工夫をしてやらねば、と母と話した。
朝方に雨が上がって穏やかな薄曇りの天気だったので、ルースはデッキ際のベッドで休んだり、デッキを(地面はぬかるんでいたので)30分ずつ2回ほど散歩したり、のんびりと過ごした。
今までより足もとがおぼつかないとは思ったが、概ねいつもどおりの一日だった。
2回目の散歩を終えたルースがテーブル下のお気に入りの場所で休んでいる間に、私は昨夏はじめに分解して洗ってしまいこんでいた、我が家の「玉座」を引っぱり出した。
その日の朝、
「これがルースと過ごす最後の冬、最後の2月になるかも」
と母と話しながら、ルースが(ほかの皆も)お気に入りだった玉座をこの冬はまだ出していなかったことを思いだしたからだ。
この玉座は、四万十に来た年にガディのために買ったものだ。
大きくて、ガディは一頭でいっぱいだったけど、他の犬たちは2、3頭乗れた。
でも、ガディがいる間は、ガディしか乗ることを許されなかった。
ガディがいなくなった後は皆が愛用していた。
昨年末から年始にかけてソフィが体調を崩したときに、玉座はソフィ専用になった。
ソフィがいなくなった後、また皆が愛用していた。
そして、今度はやがてルース専用になるのかなあ、と思いながら組み立て、カバーをかけ、
「ルース、お待たせ。大好きな玉座出したよ」
と連れて行ってやると、とても嬉しそうに横たわった。
それを見てから、私は犬猫の食餌作りに取りかかった。
だが、そこからルースの様子は急に変わった。
ご飯ができても起きてこない。
鼻先に持っていって嗅がせると、目を閉じ、少し顔をそむけた。
『いらない』と意思表示したのだ。
食べるどころか、全身が脱力しており、ほとんど反応がなくなった。
呼吸がとてもゆっくりになっているのを見て、母を呼んだ。
「ルースが旅立とうとしているかもしれない」
母はプレイステーションでゲームをしていたが、放り出してきた。
呼ぶとかろうじてまぶたがピクつく。
胸の動きはどんどん弱くなる。
もう今にも止まるかと思われた。
家族が旅立つときの話は普段からよくしている。
もうなのか、という寂しさはあっても、うろたえるという状況ではなかった。
母とふたりでルースを撫でながら、
「ルースはすごいよ、我らもかくあるべし」
「こんな風にいけるのが理想だね」
と感嘆していた。
だが・・・
ルースはまだ旅立たなかったのだ。
1時間ほど経った頃、急に目に力が戻り、起きようとした。
支えて立たせると、オシッコをした。
(オムツが温かくなり、匂いがするので分かる)
ルースは1年ほど前から室内ではオムツをしていたが、排泄したくなるとちゃんと外へ出ようとした。
間に合わないことがあるのでしているだけだ。
粗相が増えてついにオムツをするようになった時、これは特別で、ルースだけができるのだと誉めた。
「かっこいいの、しようか」
というと、オムツをはめる間、誇らしげに待っていた。
長い腹の毛が巻き込まれないよう気をつけながらオムツを装着し、
「できたよ、かっこいいね!」
と腰をぽんぽんと叩いてやると、意気揚々と歩き出すのだった。
それから、数時間ごとにルースは起きようとした。
理由は、オシッコだったり、体の向きを替えたくなったりだ。
さらに、吸い飲みで水を飲ませてみると、しっかり舌を動かし喉をならしてゴクゴク飲んだ。
そうして、翌朝も、翌々朝も、今朝も、ルースはまだ、ここにいてくれている。
土曜日の夜から日曜の朝にかけ、アニューとめえ太を除く室内組の犬猫たちは、皆ルースに挨拶をした。
日曜日の午前中、ルースの足の向くままに母と支えて歩かせると、部屋からデッキへ出て行き、さらに歩いて、アニューのところへ行った。
アニューはキュウキュウ鳴きながら柵越しにルースの口元を嗅ぎ、ルースも応じる。
と、アニューが朝食べた肉をルースの目の前に吐き戻した。
狼犬は、子犬にせがまれると雄でも吐き戻して面倒をみることがあるという。
アニューはルースが昨夜から食べていないこと、弱っていることを感じとり、ルースのために吐き戻したのだ。
「アニューせっかくだけど、ルースはもう食べられないんだよ」
と言い聞かせて部屋に戻る途中、どこからかめえ太もやってきた。
めえ太は、他の犬たちには無遠慮に突進したり、角を振り回したりするのに(実際に当てることはまずないが)、ルースだけは特別扱いしていた。
そっと頭を寄せて親愛の情を示す。
ルースがよろめいて転ぶと、鳴いて私達に知らせる。
自分でも懸命に足や頭を使って起こそうとし、起き上がった後は心配そうにしばらく寄り添って歩いていた。
この時もデッキの柵越しにいつものように頭を寄せ、おそらくこの世では最後の挨拶を交わした。
その後はひがな一日、ルースは玉座で静かに過ごした。
私たちは、ルースが意思表示をしたら起こしてやり、オムツを替え、体の向きを変え、できるだけ快適に過ごせるよう敷物や掛け物を整えた。
いつでもいってしまいそうなのに、まだいかないでいてくれる。
私たちの”心”が”頭”に追いつくのを待ってくれているのかもしれない。
静かな日曜日だった。
寂しくて、胸を締めつけられるのに、穏やかな時間。
そんな時間を私たちに与えてくれる。
ルースは本当にすごい子だと思う。
月曜日の夜中、ルースが望むので支えて立たせていたら、ふらふらとテーブルの下へ歩いて行く。
そして、いつもしていたようにテーブルの下で寝た。
テーブルの下は、ずっとルースの指定席だった。
ルース用に、体圧分散マットを敷いてある。
玉座は嬉しかったが、やはり慣れ親しんだ場所で過ごしたかったのだと思う。
自分の席に座って自分の足先がルースに触れ、ときおりルースが身じろぎするのを感じる。
毎日何気なくしていたことが、ほんの2日ぶりなのに、こんなに懐かしく嬉しいとは。
さらに驚いたことには、夜中過ぎ頃から、何度か歩いた。
完全に脱力していたのに、自力で立ち上がり、少しの距離ではあるが、ふらつきながら歩く。
前日の夕方までしていたように、部屋の中をゆっくりと確認しながら回ったりもした。
まるで、このまま良くなり、またご飯も食べられるようになるのではないかと錯覚しそうになる。
でも、そんなことは決してないこともまた、よく分かっている。
ルースは、ゆっくりと自分のペースで、旅立ちの準備をしている。
彼の邪魔をしないよう、そっと手助けをするのが、我らにできる最善のことだと思っている。
今日も、彼岸と此岸を行ったり来たりしながら波に揺られる小舟のように、ゆるやかに変化しているルース。
まったく反応がなく呼吸も微かな時は、彼岸に行っているのだと思う。
目に力が戻り、立ち上がるときは、此岸に戻っているのだ。
急がなくてもいいし、頑張らなくてもいいよ。
ルースのペースで、思うとおりにやりなさい。
耳元でそうささやいている。
8 件のコメント:
ルースの教えてくれることが、穏やかに…スっと胸に入ってきます。
ありがとう。
お久しぶりです。
とっても強い子ですね!
いつも動画を拝見させて頂いています。
活き活きとしたご家族の様子と素朴なテロップに楽しませて頂いておりました。
以前、お世話になっていたお宅では、人に加えて猫が8匹の大家族だったのですが、その内の一匹が旅立つときのことを思い出しました。
彼女は本当に淡々と、或いは飄々と旅立ちを待っていました。
その様子は美しくもありましたし、どこかチャーミングでもありました。
旅立つことやそれに伴う肉体の変化、疲労を前に、ルースさんや、彼女のように自分は居れるか、と自問したことをよく覚えています。
彼女は私の親分であり、先生であり、お目付け役でした。最後まで。
ルースさんが、その時までどうか穏やかに過ごされますよう。
namiさん、コメントありがとうございます。
いつも、彼らには最初から最後まで教えられることばかりです。
感謝の気持ちでいっぱいになります。
めぐちびさん、お久しぶりです。
紹介動画、さっさと作らないうちにメンバーが^^;
そうなんです、ルースがこんなに強いヤツだと思いませんでした。
kikimimiさん、コメントありがとうございます。
ようこそいらっしゃいました!
kikimimiさんの仰る猫さんのことは何も知らないのに、なんだかその有り様が思い浮かぶような気がします。
素晴らしい出会いであったのですね。
別れは辛いのですが、それまで共に過ごせた時間がどれほど大切な宝物になっているかを考えると、乗り越えられます。
今日の日記(日付は昨日になっていますが)に書きましたが、お陰様でルースは穏やかに時を迎えました。
少し湿っぽい話続きですが、いつまでもは引っ張りません。
これからも、お時間おありの時にのぞきにおいでくださいませ。
ハニフラさま
現代社会の過剰な延命をいつも疑問に思っていました
ぼくはお犬を看取ったことがないので、いつも最後にどうすべきかを考えます。。。
ハニフラさんのように最後の時を静かに一緒に過ごすことが良いと感じます。
生き物は死ぬ、そうしてまた巡る、そのことを自分もルースのように受入れたいです
いつも勉強になります
🐛
Accipiter Gularisさん、仰る通り、生あるものの最期にどう向き合えばよいのか、今でも悩み迷いますが、これまで先に行ったものたちに教わりながら少しずつ進んでいます。
私は動物たちの一生を見守る責任として、救われることのない苦痛は味わわせたくないという理由から、必要であれば安楽死も選ぶつもりでいます。
が、飼い主孝行な彼らはいつも、私がどうこうするまでもなく、自分たちで立派に発っていくのです。
おかげで私は、自分自身の死はちっとも嫌なものでなくなりました。
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