ルースは土曜日夜から、すっぱりと食べることをやめた。
ガディもソフィもホープも、ぎりぎりまで食欲旺盛で、口に入れてやりさえすればモリモリ食べていたから、これが初めてだった。
食欲が急になくなれば、何らかの病気と考えて獣医さんを受診するのが普通だろうが、ルースの場合は、苦しそうだとか、痛そうだとか、そういった不調のしるしがまったくないので、不思議なくらい自然に
「おしまいにしようとしているのだな」
と分かったのだ。
日曜日の朝にもう一度、肉やチーズを口元に持っていって試してみたが、はっきりと拒否した。
水はしっかり飲んでいたが、月曜日の夕方に飲ませたとき、少し舌の動きが小さくなったなと思った。
飲ませるべきなのか迷っていた。
すると夜になって、立ち上がって水を吐いた。
おかげで私たちにも、「もう水も要らないのだ」と分かった。
13日水曜日の夜遅くに良いうんこをして以来、ずっと排便がないのが気になっていた。
16日土曜夜に急変した後、しばらくして全身が周期的に小刻みに震えるようになった。
どうやっても治まらず、理由が分からなかった。
便秘だけが唯一気になっていたので、摘便をしてみたら大当たりで、石のように固い便が、出口近くで押し合いへし合いしていたのだった。
これを出してやってからは、震えはぴたりと治まった。
固い便の後ろには柔らかいのも触れたが、これはもうこのままになるだろうと思っていた。
ところが、月曜朝にそれもちゃんとしたいいうんこにして出した。
これでもうお腹はからっぽのはずだ。
この時、お尻とお腹をきれいに洗ってやった。
火曜日の夜の時点で、おしっこはかなり少なくなったがまだ出ている。
ルースの体は驚くほど薄べったくなってしまったが、とても楽そうだ。
呼吸もとても静かだ・・・
上の文章は、19日の『ルース準備中』を書いた後、続けて書いた。
これから数時間後に、ルースは息を引き取る。
書きながら考えていたのは、ルースは「なるべく身軽に」いきたいのだなということ。
頭では分かっていても、どうしても
「まだ何か食べられるかもしれない」
「水を飲みたいのではないか」
と迷いが出る。
それが、すべてが終わった後で後悔に変わる。
一生懸命であるほど、『したこと』は『よけいなことだったかも』、『しなかったこと』は、『してやれば良かった』と思い、ぐるぐる回る道にはまり込む。
ルースは、自分の思い通りに旅の準備ができるよう、私たちに分かりやすく示してくれた。
それはとてもありがたく、嬉しいことだった。
ルースの願い通りにしてやれている、と思えるからだ。
どの生き物も必ず死ぬ。
どんなに愛する家族でも、それだけは絶対に避けられない。
ならば、その最後ができるだけ平穏であるよう願うが、思うとおりにはいかないこともある。
我が家では、ガディが一番しんどかったと思う。
亡くなる1ヶ月ほど前から、ちょっとしたケガがもとで、右前肢の皮膚が潰瘍になってしまった。
最後は、私たちが寝ている間にひとりで逝ってしまった。
体の下の敷物もまったく乱れていなかったから、最後の瞬間に苦しんだとは思わないが、あの潰瘍が体力を奪い、寿命を縮めたと思うし、最後まで痛みと闘わねばならなかった。
毎日必死に傷の手当をしたが、今から思えば至らないことばかりだった。
今なら、はるかにうまくやれただろう。
きっとあっという間に治してやれた。
しかし、ガディで得た経験は、後の犬たちにおおいに役立っている。
ガディ以降、ここから旅立っていった家族達から得た経験が、今の家族に役に立っている。
犬も、猫も、鶏も、(もちろん父も)この世を去るその時まで、ずっとたくさんのことを私たちに教え続けてくれる。
本当にありがとう。
火曜日の夕方、仕事からの帰り道、天気は薄曇りだった。
全体に靄が出ており、乳白色の中にところどころ薄い橙や紫や緑が混じる、静かな空だった。
無風だったので、四万十川も湖のように静まりかえっており、川面に川霧が立っていた。
それを見ながら、
「この美しい世界を、ルースは去っていくのだ」
という思いが、ぼんやり頭に浮かんだ。
続いて、
「そしてもっと美しい世界へ行くんだ」
と考えた。
金曜日の朝、庭でルースの体を見送り、骨を拾った。
拾いきれない小さな骨をジャパンペットセレモニーのいつものおじさんが集めてくれたので、河津桜の根元に撒いた。
その後から雨が降り始めた。
撒いた骨粉の中に、小さな尾の骨があったのがどうしても気になっていたので、今朝、出勤前に見に寄ると、一晩中降った雨で、ひと月近く咲き続けた桜が散り始めていた。
写真を撮って、骨を拾って、仕事に出かけた。