2月20日、午前2時53分にルースは息を引き取った。
19日のお昼前、テーブルの下から自分で玉座に移動したそうだ。
お昼休みに私が帰宅したときはちょうど彼岸に行っているようで、そっと声をかけ、撫でても反応はなかった。
夕方、仕事から帰ったときも同じ向きで寝ていた。
体位変換をしようとタオルケットをめくった時、もうすぐなのだと分かった。
体が薄べったくなっていたのである。
それでも、向きを変えるとき、支えていれば立っていられた(なるべく最短時間にしたが)。
オシッコも出ていたのでオムツを替え、反対に寝かせてしばらくしたら此岸に戻ってきたようだった。
昨日の日記『ルース準備中』は、19日夜、ルースのかたわらに座り、頭を撫でながら書いた。
一文書いてはルースの顔を眺め、また一文書いてはルースに話しかけた。
無反応のこともあれば、眉を上げ、目を動かしてこちらを見たりもした。
頭や上半身を動かして起きたいそぶりを見せても、もう起き上がることはできなかったし、それだけの体力ももうないはずなので、腕を差し込んで少し肩を持ち上げて支えてやったりした。
そうやっているうちに、私もルースに頭を並べて床で眠り込んでしまった。
目覚めると寒気がし、体のあちこちが痛んだので、お風呂を溜めて浸かってきた。
連日の寝不足もあって少し湯船で眠ってしまい、思わぬ長風呂になってしまったが、その間もルースは静かに待っていてくれた。
日付が変わって2時を過ぎた頃、早めに寝ていた母が起きてきたので、少し交代することにした。
ベッドに入って30分くらいで起こされた。
ルースがうんこをしたので片づけようとしたが、どうも血便らしいので私を起こしたと謝る母。
もちろん起こしてくれて正解だ。
私はうんこ処理に関してはプロフェッショナルである。
確かに血便が出ているが、驚くには当たらなかった。
ルースに無理のない範囲で、できるだけきれいにした。
「今いかないでよ、ルース」
と冗談めかしてルースに声をかける。
呼吸状態に変わりはないし、しっぽやお尻に触ると、ちゃんと反応してしっぽを動かしていた。
10分か、15分かかっただろうか。
完全ではないが、これで不快感はないだろうし、匂いも許容範囲、というところまで綺麗になった。
枕元に回り、声をかけた。
「お疲れさん、きれいになったよ」
表情に変わりはなかったが、先ほどまでと違い、呼吸が少し努力様になっていた。
便が漏れたことを考えても、いよいよだろうと思われたので、母にそう伝えた。
母も頷き、「あんたを起こして良かった」と言った。
二人で撫でたり、声をかけたりして見守る中、呼吸がゆっくりと浅くなっていく。
少し足が動いたりし、最後に形ばかりの呼吸を何度か繰り返した。
そして、体の中に残った空気をふーっと吐き出して、ルースはこの世の時間を終えた。
まことに静かな穏やかな旅立ちだった。
残された私たちは悲しくないはずはないし、寂しくないはずはない。
だが、今のルースにふさわしいのは死を悼むことではないと思った。
それで、熱い生姜湯を入れ、ルースの安らかな顔を見ながら、母と祝福した。
ルースや先に逝った犬猫たち(あと父も)の思い出話をひとしきりした。
4時をまわった頃、ルースにお休みを言って、ベッドに入った。
前の日記から、「旅立ち」などと大袈裟に書いているけれど、目的地まではあっという間の、短い旅である。
今ごろはもう、天国で皆と合流し、楽しくやっているはず。
その証拠に、今朝出勤するときにしょんぼりと元気のなかっためえ太が、夕方帰宅したら、いつにないほどはしゃいで、そこら中を跳ね回っていた。
身軽になったルースがさっそく遊びに来てるんじゃないの、と母と微笑ましく眺めたのだった。
読んでくださる方へ
文章はタイムリーに書いているのだけれど、アップするまでにタイムラグがあるため、日記の日付も内容も少しずつ遅れてしまうことをご容赦ください。
あと、少しコメント欄を閉じます。
私が辛くて無理、という理由ではありません。
訃報の日記へのコメントは、書きづらいものです。
私自身、誰かの愛する家族の訃報に接したとき、コメントをしたい、気持ちを伝えたい、という強い思いがあるのに、一方で、気を遣ってしまって思うように文章が書けず、いつまでも画面に向かってしまいます。
訃報の時は読んでもらうだけで十分です。
拙ブログでは、コメントは、気軽に気楽に入れていただけたら、と思います。
それが、これまでも訃報の時にコメントを閉じてきた理由です。
(特定の記事のみのコメントクローズができないので、しばらくすべての日記のコメントが見られなくなります、ごめんなさい。
次の日記を更新したらコメント欄を開けますので、そうしたら再び見られるようになるのでご安心ください。)
たぶん、あと一回、ルースの話を書くと思います。