2/20/2019

ルース旅立つ








2月20日、午前2時53分にルースは息を引き取った。




19日のお昼前、テーブルの下から自分で玉座に移動したそうだ。

1月13日
テーブルの下でおこぶと

お昼休みに私が帰宅したときはちょうど彼岸に行っているようで、そっと声をかけ、撫でても反応はなかった。



夕方、仕事から帰ったときも同じ向きで寝ていた。
体位変換をしようとタオルケットをめくった時、もうすぐなのだと分かった。
体が薄べったくなっていたのである。

昨年12月7日
おこげをクッションごと落とそうとイタズラ中

それでも、向きを変えるとき、支えていれば立っていられた(なるべく最短時間にしたが)。
オシッコも出ていたのでオムツを替え、反対に寝かせてしばらくしたら此岸に戻ってきたようだった。



昨日の日記『ルース準備中』は、19日夜、ルースのかたわらに座り、頭を撫でながら書いた。
一文書いてはルースの顔を眺め、また一文書いてはルースに話しかけた。
無反応のこともあれば、眉を上げ、目を動かしてこちらを見たりもした。
左にはウェル

頭や上半身を動かして起きたいそぶりを見せても、もう起き上がることはできなかったし、それだけの体力ももうないはずなので、腕を差し込んで少し肩を持ち上げて支えてやったりした。



そうやっているうちに、私もルースに頭を並べて床で眠り込んでしまった。

2011年12月22日
草ロールの上で
(後ろはホープ)

目覚めると寒気がし、体のあちこちが痛んだので、お風呂を溜めて浸かってきた。
連日の寝不足もあって少し湯船で眠ってしまい、思わぬ長風呂になってしまったが、その間もルースは静かに待っていてくれた。

2010年9月4日
信州にて

日付が変わって2時を過ぎた頃、早めに寝ていた母が起きてきたので、少し交代することにした。



ベッドに入って30分くらいで起こされた。

ルースがうんこをしたので片づけようとしたが、どうも血便らしいので私を起こしたと謝る母。
もちろん起こしてくれて正解だ。
私はうんこ処理に関してはプロフェッショナルである。

2010年4月24日
まだ草一本ないウバメの段にて

確かに血便が出ているが、驚くには当たらなかった。
ルースに無理のない範囲で、できるだけきれいにした。

 「今いかないでよ、ルース」
と冗談めかしてルースに声をかける。
呼吸状態に変わりはないし、しっぽやお尻に触ると、ちゃんと反応してしっぽを動かしていた。



10分か、15分かかっただろうか。
完全ではないが、これで不快感はないだろうし、匂いも許容範囲、というところまで綺麗になった。

2010年4月18日
敷地の奥の小川のそば
右はソフィ

枕元に回り、声をかけた。
 「お疲れさん、きれいになったよ」

表情に変わりはなかったが、先ほどまでと違い、呼吸が少し努力様になっていた。

便が漏れたことを考えても、いよいよだろうと思われたので、母にそう伝えた。
母も頷き、「あんたを起こして良かった」と言った。


二人で撫でたり、声をかけたりして見守る中、呼吸がゆっくりと浅くなっていく。
少し足が動いたりし、最後に形ばかりの呼吸を何度か繰り返した。
そして、体の中に残った空気をふーっと吐き出して、ルースはこの世の時間を終えた。

2010年3月30日
移住してきた日
右はソフィ


まことに静かな穏やかな旅立ちだった。

残された私たちは悲しくないはずはないし、寂しくないはずはない。
だが、今のルースにふさわしいのは死を悼むことではないと思った。

2011年10月28日

それで、熱い生姜湯を入れ、ルースの安らかな顔を見ながら、母と祝福した。
ルースや先に逝った犬猫たち(あと父も)の思い出話をひとしきりした。

4時をまわった頃、ルースにお休みを言って、ベッドに入った。



前の日記から、「旅立ち」などと大袈裟に書いているけれど、目的地まではあっという間の、短い旅である。
今ごろはもう、天国で皆と合流し、楽しくやっているはず。

その証拠に、今朝出勤するときにしょんぼりと元気のなかっためえ太が、夕方帰宅したら、いつにないほどはしゃいで、そこら中を跳ね回っていた。

昨年12月30日

身軽になったルースがさっそく遊びに来てるんじゃないの、と母と微笑ましく眺めたのだった。





読んでくださる方へ

文章はタイムリーに書いているのだけれど、アップするまでにタイムラグがあるため、日記の日付も内容も少しずつ遅れてしまうことをご容赦ください。


あと、少しコメント欄を閉じます。
私が辛くて無理、という理由ではありません。
訃報の日記へのコメントは、書きづらいものです。
私自身、誰かの愛する家族の訃報に接したとき、コメントをしたい、気持ちを伝えたい、という強い思いがあるのに、一方で、気を遣ってしまって思うように文章が書けず、いつまでも画面に向かってしまいます。

訃報の時は読んでもらうだけで十分です。
拙ブログでは、コメントは、気軽に気楽に入れていただけたら、と思います。
それが、これまでも訃報の時にコメントを閉じてきた理由です。

(特定の記事のみのコメントクローズができないので、しばらくすべての日記のコメントが見られなくなります、ごめんなさい。
次の日記を更新したらコメント欄を開けますので、そうしたら再び見られるようになるのでご安心ください。)


たぶん、あと一回、ルースの話を書くと思います。