昨年9月のある日。
一匹の青虫が、我が家の網戸の枠をさなぎの場所に選んだ。
9月21日
気づいたらもう動かなくなっていたので、移動させるわけにもいかず、そこで見守ることにした。
9月22日
調べると10日ほどで羽化するとのことだったが、もう秋だ。
大丈夫なのかと思っていたら、いつまで経っても羽化しない。
どうやら「越冬さなぎ」というのがあるらしく、春までこのままのようなのだ。
そうして、毎日幾度となくさなぎを見ながらの生活が始まった。
雨戸を下ろすと当たってしまうので、大嵐の日も、ひどく冷え込む日も、ガラス一枚で過ごした。
2月末頃、上の方の糸が切れて逆さまになっていたことがあった。
もうダメなんじゃないかと思ったが、調べてみると意外と大丈夫らしい。
もとの角度になんとか修復
リボンでふんわり支えられて、さなぎはついに春を迎えた。
めったにないことだが今月8日水曜日、私は午前中だけ休みを取って家にいた。
ふと見ると、さなぎの色が少し変わっている。
お腹の辺りもなんだかむっちりしたようだ。
羽化が近いのかもと思い、出てきたときに絡まりそうなクモの糸をそっと取り除いてやっていると、元気に動いた。
調べているときに「さなぎが動く」というのを知ったので、おお、これが!と感動した。
知らないままだったら、中に寄生虫がいるから動いたんじゃないかと思っただろう。
「出かけるまでに羽化したらいいのにねえ」
「うーん、ちょっと難しいかなあ」
母と話しながら朝食を食べ、庭仕事を少ししようと外へ出たら、
私の掛け布団
デッキの柵にかけて干したときにしっかり止めていなかったせいで、めえ太が引っ張り落とし、それをエボニーが引っかけたか何かで、アニュー小屋のそばに寄ってしまったらしい。
満足げ
それを片づけるのに時間がかかり、さらに他に気になっていた掃除に少し時間がかかって3時間ほどして家に入ってさなぎを見ると、
文字通りもぬけの殻になっていた。
「羽化してる!」
「見届けられなかった、どんな蝶になったんだろう」
「その辺飛んでないかな」
見回すと、デッキのすみでバタバタしている見事な大きな黒いアゲハ蝶に気づいた。
間違いない、羽化した子だ。
まだうまく飛べないらしく、ほこりの上でジタバタしている。
犬に踏まれそうだし、なんだか焦っているようなのでもう少し葉陰などで休ませてやろうと思い指を出すと、夢中で登ってきた。
まっすぐこちらに向かってどんどん腕を登ってくる蝶の顔を正面から見ていると、なんだかうちの犬や猫が私を頼ってしがみついてくる姿を見ているような感覚になった。
蝶が、それも羽化したての蝶がこちらを認識して寄ってくるはずもなく、たんにつかまりやすい服の上を、なるべく上の方へ行こうとしただけなのは分かっているのだが。
抜け殻の方はこんな感じ
好きにさせてやりたかったが、そういうわけにもいかないので、鉢植えにとまらせた。
少し観察したところ、左の羽の端がほんの少し曲がっている。
羽自体はきれいに広がっているように見えたが、まだ全然飛べないようだ。
あと、デッキの上ではひっくり返り続けて、きちんと歩けない。
少し不安になった。
あるだけの花鉢をそばに置き、いつでも蜜が吸えるようにした。
ナガサキアゲハの雄・・・なのかな?
昼になったので出勤した。
職場で空き時間に調べ、4時間経っても飛べなければ羽化不全の可能性が高いということを知った。
母も頻繁に見に行ってくれたが、飛びもせず、蜜も吸う様子はないとの知らせだった。
夕方帰宅すると、蝶は自然の中でよく見かけるように、葉陰で羽を畳んでじっと休んでいた。
夜、母とどうしてやるのが一番いいか話し合った。
犬やヤギに踏まれない、花のある場所に移動させてやろうか。
あの蝶はきっともう飛べない。
飛べない蝶は生きられない。
7ヶ月近くも朝に夕に、デッキに出入りするたびに目にし、寄生虫にやられていないか毎日気にかけて見守ってきたさなぎに愛情が湧かないわけがない。
7ヶ月近くもの間、台風も寒い冬も耐えてようやく羽を得て飛び立とうとした蝶の、何もできずに死ぬさまなど見たくない。
けれど、見ないように目をそむけるのはもっとしたくないと思った。
翌朝、どうしようか悩みつつ様子を見に行くと、まだ葉陰で休んでいた。
昼は暖かいが、朝夕は冷え込む。
もう少し気温が上がらねば動けないだろう。
ひょっとして、今日は飛ぶかもしれない。
そのままにして出勤した。
夕方帰宅して母に聞くと、朝のうちに行方不明になったという。
鉢植えから離れてデッキでバタバタしていたので、花のところにのせてやろうと手に持っていた洗濯物を急いで干して戻ると、もう姿がなかったとのことだった。
うちのデッキは、だいぶ傷んでいてところどころ穴が開いている。
蝶がいた辺りにも穴があり、そこから落ちた可能性が高かった。
その時には私はもう蝶が生き延びられないだろうと覚悟ができていたが、草も生えていない湿ったかび臭い床下で一生を終えるなど、いくらなんでも酷すぎると思った。
暗くなり始めていたので、ライトで照らしつつデッキの穴や隙間から床下をできる限り探したが、見える範囲に蝶はいなかった。
柵があるのでデッキの外へ出るのは難しいだろうと思ったが、できるだけのことはしようと庭へ降りてデッキ周囲の地面を探すことにした。
うっかり自分が踏まないよう気をつけて見ながらゆっくり一歩足を下ろした、そのすぐ脇に蝶はいた。
暖かくなって伸びてきた雑草の陰に、羽をひろげ、静かにとまって休んでいた。
そっと触角に触れてみると静かに身じろぎする。
良かった、生きている。
4月9日 夕方
わずかに柵の下の隙間が広いところから這ってデッキの外へ出たのだろう。
雑草の上を歩いてここまで来たに違いない。
地面すれすれの高さで、夜気で体が冷えそうな場所だった。
デッキの花鉢に戻してやろうかと考えて、気づいた。
もがいているうちにたまたまかもしれないが、蝶はデッキから、外の世界に出た。
そして、わずか50cmほどの距離だが、自分で草の上を歩き、自分で良いと思う場所を選び、そこを休む場所にしたのだ。
それこそ、この蝶の生ではないか。
私などが手を出すべきではない、厳かともいえるものを感じた。
きっと、ここが蝶が最後に過ごす場所になるだろう。
周りにはまだ花もない。
羽化してまる一日半経つ。
夜半になって急に風が強くなった。
外であれこれがぶつかり合って物音を立てている。
しかし蝶のいる場所は、デッキから降りるスロープと、雑草の厚い壁に囲まれて風をしのげているはずだ。
翌朝、つまり今朝。
朝一番に、蝶を見に行った。
蝶はまだ同じ場所に、羽を広げたまま止まっていた。
しかし、その足はもう草をつかんでいなかった。
引っかかっているだけだ。
蝶の体のわずかな重みで、少し傾きかかっていた。
黒く艶のある背中に朝日が暖かく当たっている。
このぬくもりを、感じることはできたのだろうか。
もしや、今もわずかに命の火が残っていて、感じているのだろうか。
そして気づいた。
朝一番に、お日さまの光が当たる場所に蝶はとまっていた。
昨日も一昨日も飛べなかったが、今日は太陽に暖められて飛べるかもしれない。
蝶は、安らかに休める場所、死に場所を選んだのではないのだ。
希望に満ちた場所を選んだのだ。
矢印のところに蝶
私たちは、さなぎが無事に冬を越してくれて嬉しかった。
無事に羽化し、漆黒の見事な大きなアゲハになったのを見て、なぜか誇らしい気持ちになった。
元気に空へ飛び立ち、短くても充実した一生を送って欲しいと思った。
だから、飛べないことを知ってかわいそうで胸が痛んだ。
だが違うのだ。
飛んだり子孫を残したりといった「目的」が果たせたかどうかが大事なのではない。
卵から青虫になり、さなぎになり、蝶になった。
そして、2日ちかくの間、懸命に生きた。
それだけで、蝶の命は輝いていたのだ。
それを、教えられた。
なきがらは土に埋めず、そのままにすることにした。
野鳥が食べるのか、アリが分解するのか、そのまま土に還るのか分からないが、土に埋めるのは違う気がした。
亡骸であるのに、蝶の姿はまぶしかった。
朝日のせいだけではないだろう。