昨夜、おもちが亡くなりました。
お箸を縦に咥えて走り、壁に当たって喉に刺さったのです。
母の声で私が駆けつけたとき、物陰に逃げ込むおもちと、床に落ちた少しの血で、ちょっとしたケガかと思いながら壁に向かって座り込んだ彼女を抱き上げました。
しかし顔を見るとすでに目はうつろ、抱き上げた体は力が抜けていました。
このままあっという間に鼓動が止まるかと思われるほどの状態でしたが、意識はないながら呼吸も脈もあります。
近隣の獣医に片っ端から電話をしてもつながらないので、弟が車をとばして直接扉を叩いて回り、ようやく一軒の獣医さんがパジャマで出てきて、すぐ連れてくるよう言ってくれました。
(どこも診てくれない可能性も高く、やみくもに車で動かし回るより家で安静にしている方がましと考え、私は家でできる処置をして連絡を待っていました)
止血剤、抗生剤を施してもらい、これでできる手当はすべて。あとはこの子の体力と運命に従うしかないと覚悟を決めて、点滴をしながら連れて帰りました。
我が家に帰って30分もしたころでしょうか、やはり、おもちは天に召されました。
7ヶ月の一生でした。
「今度はゆっくり来て、猫達にも会ってね」
と話して別れた、ほんのいっとき後のことでした。
今朝起きて犬達と外へ出ると、昨日まで見事に咲き誇っていた桜ははらはらと地面に散り始めていました。
おもちは、桜とともに神様のもとへ帰っていったのでしょう。
生き物は皆、それぞれのこの世での役目をもって遣わされていると思っています。
早く役目を果たした子は、早く神様のもとへ帰るのだと。
家族を失ったとき、その子は何を伝え、何を残していったのか、私達がちゃんと受け取るべきものは何なのか、いつも考えます。
しかし、何をどう考えようと、悲しみの深さは埋まりません。
おもちは本当に穏やかで、甘えん坊で、几帳面で、気だての良い美しい猫でした。
おこげとおもちが家族になってから、想像もしなかった素晴らしい毎日がありました。
猫達の存在が加わることで、人も、犬も、家の中全体がゆったりと柔らかな空気に満たされていたのです。
こんなに幸せでいいのだろうかと思うほどでした。
家族は皆、まだ呆然としており、現実とも思えぬ時間を過ごしています。
でも、一番悲しみの深いのは、おこげです。
昨夜は一晩中泣き叫び、今日の午前中まで、半狂乱になっていました。
人や犬が近づくと怯え、かと思えば凄い勢いではしゃぎまわって、これでおもちがつられて、いつものようにどこかから走って来るのではと探します。
私が段ボールで作った猫タワーの中にいるのではないかと覗き込んだりしています。
だって、2匹は本当に仲良しでした。
いつも一緒で、一緒に遊び、一緒に眠り、お互いに毛繕いをし、同じ器から食べました。
相手を邪魔しないように、かわりばんこに頭を食器に入れて食べていたのです。
水を飲むときまで並んで飲みました。
うっかり一方が別室に閉じ込められれば、もう一方がドアの前で一生懸命鳴いて私達に教えました。
おこげはけっこう大雑把なので、トイレの後も適当に空をかいて後始末した気になっているので、じっと外から見ていたおもちが、おこげの代わりに丁寧に砂で隠してやったりしていました。
だから、おこげの取り乱しようを見ると、さらに私達の胸は潰れそうになるのです。
しかし今日の昼を過ぎた頃から、急におとなしくなり、それからはずっと寝ています。
おもちの魂が、おこげに語りかけたのだろうか。
今、もしかしたらおこげのそばにはおもちが寄り添っているのだろうか。
私達には分かりません。
ですが、ある時点からおこげは突然、別の猫のように静かになったのです。
おもちは、自分の運命を分かっていた気がします。
実は、亡くなる前の晩は、めったにないことですが母が旅行でいませんでした。
そして、亡くなった翌晩、つまり今夜は、私が当直でいないのです。
昨夜は家族が全員揃っていました。
そしてなにより、亡くなる前の晩、おもちはいつになく鳴いたのです。
私の目をじっと見据えて、あまり鳴くので、お腹が空いたのか、のどが渇いたのか、トイレが汚れているのかといろいろチェックしましたが、どれでもありません。
なおも私の目をじっと見て鳴き続けるので、おもちを抱っこして、赤子をあやすように、
「どうしたのおもち、どうして鳴いてるの」
と軽く揺すりながら、しばらく話しかけていました。
そのおもちの様子が心に残り、猫達が何を伝えようとしているのかをもっと分かりたいと思い、昨日の午後に猫の情報雑誌(あまりこの手のものは買わないのですが)の購読を申し込んだばかりでした。
あれは、別れを告げていたのかもしれません。
感傷的すぎると笑わば笑え。
私は、家族は、きっとそうだと思っています。
そして、今、ひとつ決めたことがあります。
おもちが神様のもとへ帰った空席へ、猫を迎えようと。
「おもちの代わり」では決してないけれど、おもちのように、おこげに寄り添える猫を。
そして必ず、うちへ来なければ失われてしまう命を迎えようと。
それも、おもちの担っていた使命のひとつではないかと家族の思いが一致したので。
夕方、仕事に向かうため家を出ると、桜はほとんど散ってしまって、代わりに地面は薄桃色に染まっていました。
明日、おもちの体も天へ返すときに添える花が、残っていますように。
きっと残っているでしょう。
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