10月に入ってからも、ホープは好調だった。
以前と比べれば疲れやすい感じがあり、完全回復とは言い切れなかったが、10月7日頃には、絶好調と言っていいくらいだった。
もう腰も下がっていないし、食欲は満点。
ただ、貧血の原因もはっきりしていないし、少量とはいえステロイドも飲んでいるので、骨などの硬いものは避け、馬肉など貧血改善に役に立ちそうな肉をメインに食べていた。
8日(土曜日)の朝。
久しぶりに、声をかけるまで起きてこず、母と
「今日はまた少し調子が悪いかな?」
と話したが、起き出してみればあとはいつもどおり。
エリザベスおもちは、おこぶとの距離を縮めたり
(まだ仲良くなりきれていなかった)
(まだ仲良くなりきれていなかった)
本当なら、金曜日にシマント先生に貧血の具合を診てもらいに行くべきだったのに、あまりに元気なのでうっかり行ってなかった。
週明けに行くことにした。
それと、気になることがあった。
左肩の腫瘤のすぐ後ろに、新たな腫瘤を触れるようになったのだ。
小さくなってくびれてきたのかも、と思おうとしたが、どうも新たなコブができたようだった。
第一、もともとの腫瘤の縮小が止まった気がするのだ。
9日(日曜日)はなんの違和感もなく、斜面を猛ダッシュしたりして元気いっぱいだった。
私は安心して夜の当直に出かけた。
10日(月曜日)は体育の日で祝日。
当直明けで朝帰宅すると、母が
「今日はホープちょっと歩き方がおかしい」
と言う。
後ろ足が少し流れる気がするという。
それでも私が帰るまでに母と他の犬たちとともにゲートまで散歩したとのことで、ゲートを入ってすぐのところによいウンコが転がっていた。
私と一緒に改めて散歩に出てみたが、確かに、どこということなく少し元気がない。
写真を撮ってみたものの、
「もうちょっと体力・筋力が回復しないとパッとしないな」
と思った。
朝ご飯ももりもり食べたが、その後、水を飲んだり部屋を小走りに移動する姿を見ると、わずかに左後ろ足が流れているようだった。
左肩をかばって走って、腰でも傷めたんだろうか、と思った。
昼過ぎに私が庭へ出たときについてきたホープを見てはっとした。
四つ足がすべて、極端な小股でちょこちょこと歩いていたのだ。
なにかがおかしい。
だが、祝日は動物病院はやっていないのでどうしようもない。
朝たまたま撮った動画(吠え声が大きいのでご注意)
その後も室内ではいつも通りに移動しており、
「明日採血しても、もう金曜日にオオサカ先生だしなあ」
などと迷うくらいだった。
数時間後、夕方の散歩に出たときは、疑いようもなく後肢に異変が起きていた。
他の犬たちに後れを取るまいと走るが、完全に後ろ足がついていってない。
それでも前半身で両後ろ足を引っ張るようにして走り、門を出たところで四つ足を踏んばる格好でオシッコをした。
薄ピンクで、明らかに他の犬と比べて色が悪い。
しまった、貧血が急激に進んでいるのか・・・
ごめんよホープ、先週のうちにちゃんと血液検査に行っておくべきだった、と謝りながら、とにかく寝かさねばとホープだけ家に入れた。
家に入るといつものように椅子の上に座ろうとしたが、上がれなかった。
いつものように上がった場合
(2014年4月6日撮影)
(2014年4月6日撮影)
夜ごはんは、いつも通り食べた。
だが、どんどん後ろ足は力が入らなくなり、我らが寝る頃には、支えてやらないと立ち上がれなくなっていた。
それで、その夜はクレートのクッションで寝かせたまま、床についた。
ところが、我らが寝てまもなく、ホープが自力で母の部屋まで来たのだ。
ホープは、夜は必ず母の部屋で寝た。
どうしてもいつもどおり母の部屋で寝たくて、全力を振り絞って頑張ったのだろう。
11日(火曜日)。
朝、ホープは立ち上がることはできなかったが、後ろ足は寝転んだままなら上げたりはできたし、外へ抱いて連れ出し、草の上に立たせてやれば、なんとかバランスを取って立ってオシッコをし、ふらりふらりと歩くこともできた。
夕方、シマント先生のところへ連れて行き、車まで採血に来てもらった。
貧血は1週間前とほとんど変わらず、他のデータもあまり大きくは変化なかった。
貧血で後ろ足だけ立たないなんて事はない。
何か脊髄に異変が起こっていることは間違いなかった。
そこからの変化は、まさに数時間単位だった。
夜までは動いていた後ろ足が、夜中2時頃には動かなくなっていた。
それでも、私が動かしてみると、筋肉の張りはそれなりに感じられた。
しっぽも動かせた。
12日(水曜日)。
朝には、後肢は完全に弛緩しており、しっぽも動かなくなった。
その日の昼頃から、オシッコが漏れるようになった。
体の前半分は元気いっぱいで、ごはんタイムには首をもたげて早く早くと焦り、食器を持っていってやるともりもり食べた。
水は私が後ろ半身を支えてやって立たせ、母が水入れを高めに持ってやると、自分でいつも通りに飲む。
飲みも食べもせずぐったりと寝ていた9月とは全然違っていた。
ステロイドは、この日から最初の量に戻した。
脂肪織炎が腰の辺りにもあり、ステロイドを減らしたせいでまた悪化して脊髄に悪さしたんだろうか、そんな部位にできたりするんだろうか、などあれこれ考える。
13日(木曜日)。
ようやく帰阪の日だ。
後肢麻痺が出てから4日目、とてつもなく長く感じられた。
後肢麻痺が出た翌日(火曜日)にすぐ注文した介護用品のベッドと腰用ハーネスは帰阪に間に合わなかった。
クレートではなく、後部座席に安定するようにスペースを作り、そこにホープを寝かせる。
半年ごとの心臓の精査をしてもらう時期だったので、フラも一緒だ。
オオサカ先生とは何度もメールでやりとりしていた。
その中で、木曜夜中に大阪に着いたら、そのまま夜間救急病院に連れて行って、CT・MRIを撮ってもらってはとアドバイスを頂いていた。
早いに越したことはない、と。
北摂夜間救急病院は9年か10年前、ソフィが謎の大出血を起こしてお世話になったことがあるし、今通っているフラの眼科はこの救急病院の上階にあるから、場所はよく知っている。
大阪に着いたら直行することにし、途中のサービスエリアから電話を入れた。
夜中1時半、大阪着。
フラを下ろし、スタンバイしていた愚弟を乗せて、そのまま病院へ向かう。
診て下さったのはテキパキした女医さんだった。
丁寧に、しかも素早く診療が進む。
数年前に胃捻転で駆け込んだ病院で、診察室内で1時間も待たされて急変したことをふと思い出した。
幸い、我が家は車で10分の距離なので、合間合間で家に帰って布団に入る時間もあった。
(一睡もできなかったが)
先生の予想では、熱があり、血液検査で白血球が異常高値であることなどから、なんらかの炎症性疾患ではないかということだった。
それで、CT・MRIだけでなく髄液検査もすることになった。
腫瘍の可能性もあるかと問うと、もちろんあるが、腫瘍ならばもう少し進行が遅いのと、ひどい痛みを伴うはずだとのこと。
炎症性疾患なら、回復の見込みもあるだろう。
少しだけホッとした。
途中経過の連絡をもらいつつ、最終的に迎えに来るようにとの連絡があったのは、朝8時を過ぎた頃だった。
CT撮影のためにかけた全身麻酔からも順調に覚め、ホープは敷いてもらったタオルケットをくちゃくちゃに丸めてケージの中で待っている。
その横を通り過ぎ、別室で画像を見ながら説明を受けた。
丸で囲んだところが病変部
肩の腫瘤が、悪性腫瘍だと思われること。
胸椎を破壊し、脊髄に広がっていること。
肺にも多数の転移が見られること。
CTで確認しながら針生検を行ったので、確実な組織が採れていると思うが、結果が出るのは来週初めになるだろう、だが、悪性腫瘍の末期で、予後は極めて厳しいであろう事を告げられた。
先生が言葉を選びながら言う。
「この子は大きいし、内臓はとてもきれいで元気だから闘病が長くなるだろうし、床ずれができたりすれば苦しいことになるかもしれなくて・・・」
何を言おうとしているかは簡単に予想がついたし、私自身、画像を見た時点で考えていたことだった。
「安楽死も考えてやらないと、ということですね」
「・・・そうですね」
不思議に、頭が真っ白、というところまではならなかった。
9月に具合が悪くなったときからずっと、潜在意識にそんな予感がくすぶっていたのかもしれない。
ただ、夢の中にいるようだった。悪い夢の中に。
水曜日から垂れ流しになったと思っていたが、排尿障害で溜まりすぎた分が漏れていたのだ。
苦しかったろう。
お腹を押してしぼってやったりもしたつもりだったが、うまくできていなかったのだ。
気づいてやれなくてかわいそうなことをした。
麻酔の影響か、ちょっと元気のないホープを車に乗せ、家に帰りたいところだったが、そのままオオサカ先生のところへ直行した。
救急病院から家への帰り道にあるからだ。
救急病院からの資料を見て、先生は申し訳ないと謝ったが、9月の時点で、こういう可能性についても話してくれていた。
針生検なので、悪性細胞がうまく出ないこともある。
周囲の炎症(脂肪織炎)がひどいので今は分からないが、これが治まってみれば芯に腫瘍がある場合もある。
レントゲンでも、肺に一ヶ所気になるところがある。
ちゃんとそう説明してくれていた。
悪い方の予想が現実になってしまったのだ。
「腫瘍認定医の先生に診てもらってみますか」
とオオサカ先生が言った。
まだまだ人数の少ない腫瘍認定医I種という、腫瘍のベテラン中のベテランの先生が、20分ほどのところで開業されているという。
(オオサカ先生は日本に12〜13人しかいないと言ったように記憶しているが、サイトを見ると30人超はおられるようだ。私の記憶違いか、実働人数がそんなものなのか。)
昨夕から長時間の移動と検査に次ぐ検査で疲れ切っているであろうホープを早く休ませてやりたい、例えば画像データを見るだけで、もうやれることがないと判断できる状態なら、行く意味があるだろうか、と思ったからだ。
もうひとつ心配だったのは、行ったらホープというよりガンだけを診て、否応なく抗ガン剤をぐいぐい勧められるような腫瘍マニアみたいな先生だったらどうしようということ。
そんなことを考えるなんて、私も少し頭が回っていなかったのかもしれない。
考えた末に結局、行くことにした。悔いを残したくなかった。
オオサカ先生も腫瘍の先生に電話をして話してくれた。
ホープ、ごめんな、もう少しがんばって。
車ですぐだった。
獣医師相手に腫瘍の講義をしているという腫瘍認定医の先生だから、年配の気難しそうな白髪の先生を想像していた。
が、こぢんまりと居心地のいい待合室から、診察室へ呼ばれて入ってみれば、オオサカ先生とさほど年齢の変わらない、穏やかな先生だった。
画像とホープ自身を診て、先生が勧めた治療は緩和ケアだった。
進行度ももちろんだが、先生が何度も口にしたのが、
「場所が悪かった」
ホープの胸椎のいくつかは、すでにかなりの部分が腫瘍に置き換わっている。
これがいちおう正常な部分の背骨
もろくなって骨折している
(両側の白い板状の部分は肩甲骨)
もし抗ガン剤が効いて腫瘍が縮小すれば、今や腫瘍によって支えられている胸椎がボロボロと砕けてしまい、一気にQOLが落ち、苦痛も増すだろうとのことだった。
完治しないまでも、一時的にでも小さくできれば、もう一度楽しい日がしばらくは送れるかもという希望は最初から叶わぬものだったのだ。
もう、私達の願いは一つだった。
ホープを苦しませない。
生きる喜びがあるままで、送ってやりたい。
腫瘍の先生に診てもらって良かった。
嬉しい道ではなかったけれど、飼い主にとって辛い道だけれど、それでもホープのためにどの道を行くべきか正しく把握することができたのだ。
向かうべき方向とゴールがちゃんと分かっていれば、選択肢を誤らずにすむ。
願望と現実をごっちゃにしてホープに苦しい思いをさせることだけはしたくなかったから、それを腫瘍の先生に伝えてお礼を言った。
今のホープに使ってやれる薬として、ビスフォスフォネートという骨融解を止める薬を勧めてもらった。
3週間ごとに点滴をするスケジュールを組んだ。
帰り道にあるオオサカ先生のところに再度寄る。
ホープは車に寝かせたまま愚弟に見ていてもらい、私だけ診察室に入る。
既にお昼近くなっており、私自身が寝不足と心身の疲れでちょっとふらふらした。
オオサカ先生と最終的な話を詰めた。
少しでもホープのQOLを保つために何ができるか。
腫瘍が大きくなれば、当然痛みも強くなる。
オオサカ先生のところでは、治験段階のICGリボソーム療法もできるが、腫瘍を叩きすぎてもいけないと言われたことを考えると、これはだめだ。
できることはほとんどなかったが、少しでも腫瘍増大の抑制の助けになればと、インターフェロンの注射と、リンパクトデリタブというサプリメントをもらうことにした。
それから、安楽死の相談もした。
今回は、日曜日に四万十へ連れて帰り、慣れた環境で過ごさせる。
ぎりぎりではなく、少し余裕を持って(移動も堪えるだろうし、同じペースで進行するとは限らないし)早めに大阪へ連れてきて、母に看てもらう(愚弟は勉強中で学校もあるので)。
痛みがコントロールできなくなったり、ごはんが食べられなくなったら先生に来てもらって、眠らせてやる。
いよいよの時は、私が四万十から駆けつける。間に合わなくても仕方ない。
そんな風に話がまとまった。
どの先生もホープが痛がらないことに驚いていた。
救急病院の先生は画像の説明をしながら言った。
「本当にいい子ですね・・・
普通ならこの状態だったら、痛くて半狂乱になって、
飼い主さんに噛みついたりするんですよ。
なのにホープ君は穏やかで」
オオサカ先生は、
「痛みのあまり奇声をあげる犬も多いんですが・・・」
腫瘍の先生の診察室でも
「今週月曜日夕方まで走り回ってたんです」
「走り回ってた!?4日前まで!?」
「ごはんは今もバクバク食べるんです」
「ごはんを食べる!?」
「神経麻痺が出たおかげで痛みを感じないのかも」
「でも先生、後肢はそうでも、局所は痛いはずですよね」
「ですね。でも痛がってないですね。うーむ」
痛みがない理由は分からなかったが、とにかくそれは残り時間の少ないホープにとって、最高の贈り物だった。
昼過ぎになってようやく、ホープは我が家の居間で寝ることができた。
疲レタ・・・
疲れたろう、ゆっくりお休み。体力を取り戻そう。
その後も在阪中、思いついては何度も腫瘍の先生のところやオオサカ先生のところへ足を運んだ。
あれこれ相談をしたり、追加のお薬をもらったりした。
もうホープは連れて行かなかったので、私が家を空ける間、週末で学校のない愚弟が面倒をみてくれていた。
金曜日にビスフォスフォネートの点滴、土曜日にインターフェロンの皮下注射をした。
ホープが少しでも楽に過ごせることなら、なんでもしたい。
躊躇っている時間はない。
予後はあと1ヶ月。
3ヶ月は厳しいだろうと言われていたから。
1〜2時間ごとに体の向きを変えてやっていたが、時々愚弟と二人がかりで立たせてやったり、座らせてやったりするととても嬉しそうにした。
しかし、すぐにヨダレが増え、貧血を起こして歯茎の色が悪くなるので、1分くらいしか起こしてやれなかった。
タオルケットや毛布で支えて伏せの姿勢にしてやると、嬉しそうに庭を眺めたりして、そのうちスースーと眠ってしまっていた。
伏せシステム完成
向こう側にタオルケットで支えをしている
馬肉を食べたがらなくなったので、バーフを解凍してやると喜んで食べた。
それもしばらくすると食べたがらなくなったので、スーパーで鶏肉を買ってきてやるとまた喜んで食べた。
(注:馬肉は本当はガンには良くないとされる)
このぜいたくものめ
時々立ったり座ったりして元気な頃の気分を味わい、伏せの姿勢で庭を眺めながら眠りに落ち、毎日、少し手伝ってやるといいウンコをころころと自分で出した。
オシッコは、朝昼晩と絞ってやって、私もだいぶ上手になった。
水はシリンジで一滴もこぼさず、いくらでもゴクゴクと上手に飲んだ。
日曜日、四万十に帰る予定だったが、木曜夜から金曜昼までの強行軍の疲れが取れたばかりですぐ四万十への長時間移動、というのはまた堪えるだろうと心配だった。
月曜日は外来もなく、ちょうど担当の入院患者もいない。
休みを取ることにして、月曜夜に帰高することに変更した。
8 件のコメント:
ハニフラさん、あぁもうごめんなさいね、私も気づけばいいものを・・・
言葉がないです。ホープは幸せだと思います。
・・・大変申し訳なかったです・・
ノーテンキなコメをしてしまいました。
無理だとは思いますけど、他のみなさんが
体調を崩さず、乗り越えられますように。
ベックマンさん、いや、もうほんとに申し訳ないです。
振り回しちゃってごめんなさい。
読んで下さる方を惑わせるようなことしたくないので、こういう話の時は、いつもは最初に結果をパッと書くし、一回で書き上げるんだけど、どうしても順を追って書きたくて。
あと2回で完結です。
はたはたさん、申し訳ないのは私です。
読んで下さる方を振り回すことになってしまって。
でも、心配したり喜んだりしてくださるコメントは暖かくて有り難かったです。
次、金曜日くらいにアップできると思いますので・・・
ほんとごめんなさい。
四万十へお邪魔して、ちょうど一年。
フェイスも一気に歳を取り、
もう飛行機に乗せるのは厳しいと考えています。
去年思い切って足を延ばして正解でした。
フェイスのかかりつけ医も150km離れてて、
これから先、連れて行くだけで疲れるようになるかな?とか、いろいろ考えます。
夫jick氏が「俺に駆け寄ってドーンとぶつかって迎えてくれたのがホープだったと思う」と、ショックな様子です。
ホープの嬉しそうな甘えた顔、かわいい。
ウズラちゃん、そうでしたね、ちょうど一年になります。
あの時は遠くから来てくれてありがとう。
フェイス・アイスにも久しぶりに会えて、いい一日でした。
かかりつけが150km離れているとは・・・さすが北海道。
緊急時には心配ですよね。
そう、jickさんに坂の上から突進して袖にぶら下がったのがホープです。
彼なりの歓迎だったのですが、エネルギーに溢れてやんちゃだったので、なかなか礼儀知らずでm(_)m
でもおかげで(?)覚えてもらえてかえって良かった・・・かな?^^;
何も書けません。
最初で最後のふれあい。
あんなに元気な歓迎だったのに。
jick-jick
jick-jickさん、あの時会ってもらっていて本当に良かったと思います。
jickさんの袖にくらいついてぶーんとぶっとんでるホの字を見た時は慌てましたが(汗)
ありがとうございました。
コメントを投稿